沖縄 久高島と斎場御嶽

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この島では、女が神になり、死者も神になる。

目次

久高島と斎場御嶽 ― 海の彼方をめぐる、生と死の円環


一枚の写真が、ひとつの島の死生観を、殺した。

1966年。芸術家・岡本太郎が、沖縄の小さな島で、ある棺の蓋を開けた。

中には、白骨化した女性が横たわっていた。絣の着物。まだ、髪がうっすらと残っている。亡くなって、そう長くはない。

その島では、死者を埋めない。海辺の岩場に棺を置き、風に晒し、自然に還す。風葬という。

太郎は、それを撮った。そして、週刊誌に載せた。

島民は、激怒した。

そして、彼らは決断する。風葬の場所そのものを、コンクリートで固めてしまった

二度と、誰にも、暴かれないように。

こうして、何百年も続いた久高島の風葬は、終わった。「忘れられた日本」を発見した男が、その忘れられた日本を、ひとつ、葬ったのだ。

これから話すのは、ただのパワースポット巡りではない。神が海の彼方から降りてきて、女が神になり、人が死んで神になり、また海の彼方へ還っていく――そういう壮大な円環が、つい数十年前まで、確かにそこにあった。そして、それが静かに壊れていく話だ。

見ること。撮ること。暴くこと。それがどういうことなのか。最後まで読んだあなたは、もう一度、自分のスマホを見つめ直すことになるかもしれない。

入口は、沖縄でいちばん有名な聖地から始めよう。


第1章 斎場御嶽 ― 何もない、が最高だった

あなたがガイドブックで見た、あの光景――二枚の巨岩が寄りかかってできた、三角形のトンネル。その隙間の向こうに、神の島・久高島が浮かんで見える。斎場御嶽(せーふぁうたき)で最も写真に撮られ、最も「神秘的」と讃えられるあの絶景。

あれは、本来は存在しなかった。

三庫理(さんぐーい)から久高島を遥拝できるという事実は、琉球の史書には一切記述がない。なぜか。近世になって、三庫理の岩壁の一角が崩れ落ちたからだ。崩れて開いた穴から、たまたま久高島が見えるようになった。それだけのことだ。

かつての三庫理は、三方を巨岩に囲まれた、光のほとんど届かない密室だった。久高島など、見えなかった。

岩に囲まれた闇の底に立つ。頭上のわずかな隙間から、一筋の光だけが落ちてくる。外界からも、海からも、完全に切り離された空間。それが本来の最奥部だった。

崩れたから、見えた。閉じていたから、聖地だった。

私たちが「絶景」と呼んで撮影しているものは、聖地が崩壊した跡なのだ。覚えておいてほしい。この記事は、最初から最後まで「見えてしまったもの」「暴かれてしまったもの」の話で出来ている。

ちなみに、この三角の岩間は、敏感な人が「何かを感じる」と言う場所でもある。長年ガイドを務める人によれば、霊感の強い人が写真を撮ると、三角形の頂点に「光の玉」が写るという。あるとき年配のノロ(女性神官)が撮ったカメラには、鮮明なオレンジ色の発光体が写ったそうだ。光のいたずらだと言えばそれまでだ。だが、なぜか霊力の強い人が撮るほど、奇妙な写真になる。その「光」が何なのかは、この後で、もう一度効いてくる。


冒頭で棺を暴いた、あの岡本太郎の話を、もう少しきちんとしよう。彼は単なる無神経な観光客ではなかった。むしろ、誰よりも深く、沖縄に恋をした男だった。

1959年。まだアメリカ統治下にあった沖縄に、彼は降り立った。「芸術は爆発だ」のあの男だ。本島から久高島、宮古、石垣、竹富を巡り、1966年にもう一度久高島を再訪した。後にこう書いた――「沖縄に恋をした」と。その記録が、毎日出版文化賞を受けた名著『沖縄文化論―忘れられた日本』である。

タイトルを、見てほしい。忘れられた日本。

王朝文化、戦争、占領、基地。沖縄のなまなましい現実を前にした岡本太郎を、最も激しく揺さぶったものは何だったか。絶景でも、豪壮な建築でも、きらびやかな祭礼でもなかった。

「何もないこと」だった。

本書で彼はこう書いている。最も感動させられたのは、まったく何の実体も持っていない御嶽だった、と。礼拝所も建っていない。神体も、偶像も、何もない。森の中の、何でもない空き地。うっかりすると見過ごしてしまう、粗末な小さな四角い切石が置いてあるだけ。その「何もない」ということの素晴らしさに、自分は驚嘆した――と。

彼はそれを「何もないことの、眩暈」と呼んだ。

立ちくらみがするほどの空白。本土の神社のように、人が神を祀るために何かを建てるのではない。もともと神が宿っている場所に、人がそっと足を踏み入れる。建てないことが、最高の格式だった。

岡本太郎は、近代人がとっくに失った何かが、この空白の中にむき出しで残っているのを見た。「これこそ、オレたち自身なんだぞ、日本そのものなんだぞ」と彼は言った。

なぜ、何もない空き地が、最高の聖地になりうるのか。その答えは、ここに「何が来るか」を知らなければ、わからない。


本土の神様は、空から降りてくる。天の高原から地上へ降臨した天照大神。垂直のイメージだ。

だが琉球の神は、海の彼方からやってくる。

その異界の名を、ニライカナイという。東方の海の果て、あるいは海底や地底にあるとされる、神々の理想郷。久高島では、ニラーハナーと呼ぶ。魂はそこから生まれ、死ねばそこへ帰る。太陽もまた、東の海から昇り、西へ沈むと海底の他界を通って再び昇ると信じられた。創世神アマミキヨ(アマミク)は、このニライカナイから渡来し、島々をつくったと伝わる。

民俗学者・折口信夫は、琉球の異界を二つに整理した。水平に広がる海の彼方の他界=ニライカナイ。そしてもう一つ、垂直に高い天上の他界=オボツカグラ。権威を守護する神々の住まう神界だ。つまり琉球では、神は二方向から来る。海の彼方から、そして、空の上から。

そして柳田國男は、名著『海上の道』で、このニライカナイ思想こそ、日本本土の「常世国(とこよのくに)」、すなわち日本神話の「根の国」と同じ源流だと論じた。沖縄の信仰は、日本がどこかで置き忘れてきた、原型そのものなのだ。岡本太郎が「忘れられた日本」と呼んだのは、これだった。

琉球の信仰の核心は「外から来るもの」を迎えることにある。神は最初からそこにいるのではない。海の向こうから、人間の世界の外側から、ある時「来訪する」。だから人は浜に並び、神を迎え、神を送る。神の姿は見えないことも多い。それでも、来訪を信じて待つ。

そして斎場御嶽は、その「外から来るもの」を受け取るために設計されていた。この御嶽が向くのは、東――沖縄の言葉で「あがり」。太陽が昇り、ニライカナイがある、最も神聖な方角だ。三庫理から望む久高島は、アマミキヨが最初に降り立った上陸地。斎場御嶽という空間まるごとが、海の彼方から来訪する神を受信するための、巨大なアンテナだったのだ。

岡本太郎が見た「何もない空き地」の正体は、これだ。何かを祀る場所ではなく、何かが降りてくるのを待つ場所。だから、空けてある。受信機の前を、ふさいではいけない。

そして――「外から、海から、光とともに何かが降りてくる」という発想を、現代の私たちは別の言葉で呼ぶことがある。未確認飛行物体。来訪者。

沖縄の空には、昔から正体不明の光の目撃譚が絶えない。近年も、夜明け前の空をふにゃふにゃと不規則に曲がりながら移動する謎の光が広範囲で目撃され、火球か、米軍機か、それとも――と騒ぎになった。沖縄怪談の名手・小原猛の作品集には、ずばり「赤いUFO」という一編まである。もちろん、その多くは自然現象や人工物で説明がつくのだろう。

だが、言いたいのはそこではない。琉球の人々は何百年も前から、「世界の外側から、光とともに何かが降りてくる」という世界観の中で生きてきた、という事実だ。彼らにとって、空と海は閉じた壁ではなく、つねに「向こう側」へ開いた扉だった。三庫理の写真に写る「光の玉」。夜空の謎の光。来訪神を待った祈り。それらは、地下水脈で確かに繋がっている。人間は、外から来るものを、ずっと待っている。


沖縄には、マブイという言葉がある。魂のことだ。そして沖縄では、魂は、落ちる。

大きく驚いたとき。事故に遭ったとき。強い衝撃を受けたとき。人はマブイを落とす。落としたまま放っておくと、どうなるか。人格が変わるという。常にボーッとして、話しても要領を得ず、何を言っても通じなくなる。魂が、半分どこかに行ったまま戻ってこないのだ。

だから、落としたら、拾いに行く。落とした、まさにその場所へ。そして唱える。

「マブヤー、マブヤー、戻ってきなさい」。

これをマブイグミ(魂込め)という。落とした場所に立ち、抜けた魂を、もう一度その人の身体に込め直す。今も、沖縄では当たり前に行われている。

ここで、ひとつの問いが立ち上がる。落ちた魂は、その後、どこへ行くのか。

ある沖縄の人は、こう書いている。落とされ、さまよう魂が集まり、回収される場所――それが、御嶽なのではないか、と。

何もない空き地。神が降りてくるのを待つ、空白の聖域。そこは同時に、人々が落としていった無数の魂が、静かに溜まっていく場所なのかもしれない。あなたが斎場御嶽の森で「何かを感じる」とき、それは神の気配かもしれないし――誰かが、ずっと昔に落とした魂かもしれない。

森を歩くと、六つのイビ(神域)が順に現れる。最初の拝所が大庫理(ウフグーイ)。巨岩の前に祈りの石畳が敷かれている。その先に寄満(ユインチ)。「台所」を意味するが、ここで煮炊きをしたわけではない。王国が豊穣に満ちるよう祈った場所だ。この大庫理・寄満という名は、いずれも首里城内の部屋の名前と同じである。聖地と王城が、名前で結ばれている。

そして道の途中には、痛々しいものも残る。沖縄戦の艦砲射撃でできた砲弾池だ。神の森にも、戦争の傷は容赦なく刻まれた。神を待ち受けたこの場所に、人間の作った鉄の雨が降った。聖地は、歴史の暴力の外側にはなかった。

「斎場御嶽」という呼び名すら、実は通称にすぎない。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。私たちが知っている名前は、本名ですらないのだ。


第2章 女が神になるクニ ― 霊力の地図

なぜ沖縄では、神に仕えるのが女ばかりなのか。ノロも、ユタも、聞得大君も、イザイホーのナンチュも、すべて女だ。男はどこへ行ったのか。

その根っこに、おなり神信仰がある。

おなり神とは、妹(をなり)が兄(えけり)を霊的に守護するという、沖縄の古い信仰だ。沖縄では古来、女のほうが霊力が高いと考えられてきた。妹は、兄が漁や旅に出るとき、霊力で守る存在になる。家を守る女が、外で働く男を、目に見えない力で支える。

柳田國男は、これを「妹の力」と呼んだ。そして驚くべきことに、彼はこの信仰が沖縄だけのものではなく、日本本土にも共通する古代信仰だと指摘した。卑弥呼を思い出してほしい。祭祀を司る女と、政治を司る男。その二人三脚は、邪馬台国にも見られる。沖縄は、日本がとうに手放した「女が神に近かった時代」を、生きたまま保存していたのだ。

この信仰が、社会の構造そのものになった。男が政治を行い、その男を守護する女が神事を司る。集落レベルでは、祭祀を司る根神(姉妹)と、その神託で政治を行う根人(兄弟)。国家レベルでは、聞得大君(姉妹)と国王(兄弟)。下から上まで、同じ構造が一本貫いている。

そしてもう一つ、重要な言葉がある。セジ。万物に宿るとされる霊力のことだ。古い歌謡の解釈によれば、セジが剣につけば霊剣となり、石につけば霊石となる。門にも、港にも、舟にも、城にもつく。そして――人につけば、その人は超人になる。女は、このセジを、その身に宿し、操ることができるとされた。だから女は、神になれる。


ここを、混同してはいけない。沖縄で神に関わる女には、まったく性質の違う二種類がいる。ノロと、ユタだ。この違いがわかると、沖縄の信仰の奥行きが、一気に立体になる。

ノロ(祝女)は、世襲の女性神官だ。御嶽やグスクで、村落の公的な祭祀を司る。本土の「巫女」とは違う。むしろ男性神職に近い、祭司そのものだ。「祝」という字が当てられたのも、もとは男の神職を表す字だったから。ノロは神道の巫女ではなく、神と交信し、その身に神を憑依させ、神そのものになる存在だった。久高島では「神に仕える人」が、同時に「神そのものとして拝まれる人」になる。仕える者が、そのまま、拝まれる者になるのだ。

一方のユタは、まったく違う。世襲ではない。選ばれてしまうのだ。

ユタは、民間のシャーマン――霊媒師だ。集落ごとに一人はいるとも言われ、人々の私的な悩みに、神や祖先の声を取り次ぐ。病を占い、死者の言葉を伝える。ノロが「公」なら、ユタは「私」。この二つが、沖縄の民間信仰を支える車の両輪だと、研究者は言う。

ノロが血で受け継がれるのに対し、ユタは、ある日突然、神に名指しされる。

ユタになる人には、共通する型がある。幼い頃から病弱で、幽霊や神々の姿を見てしまう。沖縄の言葉でサーダカウマリ――霊力の高い生まれ、と呼ばれる。そして二十代から三十代のある時期、夢や幻の中で神々が現れ、告げる。「お前は神の道に入れ」と。

普通なら、選ばれて光栄だと思うだろう。逆だ。

ユタは長い歴史の中で、人を惑わす者として政府に弾圧され、差別されてきた。だから神に「ユタになれ」と告げられても、快く承諾する人はほぼいない。誰だって、平穏な暮らしを手放したくない。

ところが、拒んだ瞬間、地獄が始まる。カミダーリ。漢字を当てれば「神狂い」「神祟り」。

それは、病院に通っても決して治らない身体の痛みと不調。自分や身内を襲う、原因不明の怪我、事故、離別、死別。突然、脳が停止したように全身が痙攣し、涙とよだれが止まらなくなる。ある記録では、通学途中にいきなりこの状態に陥り、一年間も苦しみ続けた女子中学生の話が残る。客観的には、精神疾患そっくりの症状が現れる。

そして、最も恐ろしい警告がこれだ。神は告げる。「神の道に入らなければ、命をとられる」と。

人々はあまりの苦しさに、藁にもすがる思いで別のユタを訪ね、病院を訪ね、神の道に入ることでしか――つまりユタになることでしか――その地獄から抜け出せない。沖縄にはこれを言い表す言葉がある。「医者半分、ユタ半分」。

医学では治らない。神を受け入れて初めて、症状はおさまる。神に選ばれるとは、祝福ではなく、生死を賭けた試練なのだ。逃げれば祟られ、受ければ人生が変わる。

ユタの能力について、もうひとつ、ぞくりとする話がある。沖縄のユタは、霊と「言葉」でコンタクトを取る。沖縄の言葉や日本語で。だから――アメリカ兵の霊に対しては、英語がわからず、力を使おうとしないのだという。沖縄戦で死んだ無数の異国の兵士。彼らの魂には、ユタの言葉が届かない。言葉の通じない死者は、誰にも鎮められないまま、今もこの島のどこかにいる。

もしあなたが斎場御嶽で、岩の前に立ち一心に祈る人を見かけたら、それは観光ではない。本物の祈りだ。決して、邪魔をしてはいけない。あなたがスマホで気軽に撮影しているその岩の前で、誰かが命を削って祈っている。同じ場所に立っていても、見えている世界が、まるで違う。


沖縄の不思議は、聖地の中だけにあるのではない。道端の一本の木にも宿っている。

キジムナー。沖縄でいちばん有名な精霊(妖怪)だ。

古いガジュマルやアコウの大木に住む。姿は、赤い髪、赤い顔の子供。地域によっては、髪の長い大男とも、枯れ木のような老人とも、若い女とも、全身毛だらけとも言われる。手は木の枝のように伸び、跳ねるように歩く。夜、たいまつを持って山の端や海辺を歩く。その火は「キジムナー火」と呼ばれた。沖縄の夜に浮かぶ、もうひとつの火の玉だ。

キジムナーは魚を捕るのが滅法うまい。だが、奇妙な癖がある。捕った魚の、左目だけしか食べない。だから、キジムナーと友達になった漁師は、魚の山を手に入れる。家のガジュマルに住み着けば、その家は裕福になるとも言われた。

可愛らしい話だと思うだろう。沖縄のテレビ局のマスコットにもなっている。だが、キジムナーは、フレンドリーとは限らない。

キジムナーを裏切ると、どうなるか。ある男は、キジムナーを裏切ったばかりに、殺された。別の男は、家族を皆殺しにされた。漁運を授ける優しい隣人は、約束を破った者には、容赦がない。

そして、キジムナーには、もうひとつの顔がある。夜、人が眠っているところへやってきて、胸を押さえる。押さえられた者は、起き上がれなくなる。内地で言う、金縛りだ。

沖縄の夜、ふと目が覚めて、身体が動かない。胸の上に、何かが乗っている。重い。それは、疲れのせいかもしれない。あるいは――近所の古いガジュマルから、赤い顔の子供が、遊びに来ているのかもしれない。

沖縄では、こうした人ならざるものを総称してマジムンと呼ぶ。キジムナーもマジムンの一種だ。ほかにも、小豚のお化け(ウワーマジムン)などがいて、人の股の下をくぐり抜けて、魂を抜いていくとされる。

万物に、セジが宿る。木にも、岩にも、道にも。沖縄では、人間と人ならざるものの世界が、紙一重で隣り合っている。聖と俗、此岸と彼岸の境界が、本土よりずっと、薄いのだ。


ノロたちの頂点、最高神女・聞得大君(きこえおおきみ)。その就任儀式が、斎場御嶽で行われた最大の祭事「御新下り(おあらおり)」だ。1470年から1879年まで、約400年、15代にわたって続いた。

その夜、何が起きたのか。1840年の詳細な記録が残っている。再現しよう。

早朝。新たに選ばれた女性は、多数のノロや女官を従えて御殿を発つ。首里城正殿、園比屋武御嶽を参拝し、行列は東へ向かう。彼女は白馬に乗り、道中、ノロたちは琉球古謡「クェーナ」を延々と謡い続ける。与那原の浜で、神女たちが斎戒沐浴し、髪を後ろに垂らし、白い神衣をまとって出迎える。午後三時頃、一行は与那原を発つ。途中の急坂で、大君は馬から籠に乗り換える。そして――午後九時頃、斎場御嶽に到着。

御嶽の前には、この日のための仮の御殿が築かれている。式典会場には、わざわざ神の島・久高島から運び込まれた白砂が敷き詰められていた。その準備だけで、半年を要したという。午後十時頃、総勢七十余名のノロ、神女が揃う。大君は一行を従え、闇の中を最奥へと進んでいく。ノロたちのクェーナが、夜の森に響き渡る。

これは、ただの就任式ではない。現代の研究は、御新下りの本質をこう捉えている。聖婚(神婚)儀礼――琉球の創造神との「契り」だ。降りてくる神の名を、君手摩(きみてずり)という。海と太陽を司り、王国の存亡の機に天から降臨するとされる女神。ニライカナイに住まうとも伝わる。

神は、海と空の両方から降りてくる。御新下りの夜、その海と太陽の女神が、闇の密室で、一人の人間の女に降りるのだ。その夜、人間の女が、神になる。久高島の彼方、海の向こうのニライカナイから昇る朝日が、その出来事を見届けたという。就任は、原則として生涯続いた。

そして、観光案内が決して語らない核心に触れておく。「神女が国王を守護する」と聞くと、神女は王の下にいるように思える。だが、もとは逆だった。第二尚氏王統の成立をめぐり、国王・尚宣威が高級神女によって王位から退けられ、尚円の子(のちの尚真王)が王位を継いだという伝承が残る。女が、王を辞めさせた。神権が王権を上回っていた時代があったのだ。

その危うさを誰より理解していた尚真王は、神女組織を国家の制度として整備した。聞得大君を頂点に据え、初代には自らの妹を就けた。女の力を最高位に祀り上げ、讃えながら、同時にその力を制度で飼い慣らす。崇めることと、封じること。その二つを同時にやってのけた。


第3章 久高島の生 ― 主婦が神になる島

斎場御嶽から東の海を見る。約5.5キロ先に、平たく細長い島が浮かんでいる。周囲わずか8キロ、人口220人ほどの、小さな島。久高島。琉球開闢の祖アマミキヨが、ニライカナイから渡って来て、最初に創ったとされる島だ。

この島は、根本から、ほかのどことも違う。島の土地に、私有地がない。

久高島では、土地は神様からお借りしているもの、と考えられている。だから個人が土地を所有することはなく、公有地を除いた土地を、自治会が共同で持つ。「総有」と呼ばれるこの仕組みは、琉球王朝時代からの慣わしで、沖縄で唯一、久高島にだけ残っている。集落のほかは、ほとんどが聖域だ。島全体が、神のものなのだ。

島の東海岸に、イシキ浜がある。ニライカナイから神の乗った船がやってきて、停泊した場所と伝わる。この浜に、五穀の入った壺が流れ着いた。そこから穀物が久高島へ、そして沖縄本島へと広まった――五穀発祥の神話の地だ。記録によっては、流れ着いたのは壺ではなく瓢箪で、それをアカッチュミとシマリバという夫婦が拾ったともいう。あまりに神聖なため、遊泳は禁止されている。

面白い習慣がある。久高島では年始に、男子一人につき、このイシキ浜の石を三個拾い、お守りとして家に置く。そして年末、その石を、また浜へ戻す。借りて、返す。何ひとつ、自分のものにしない。

そう。この島では、知っておくべき掟がある。この島から、何も持ち帰ってはいけない。

小石も、貝殻も、砂も、草木も。記念に、と軽い気持ちで持ち帰った人が、体調を崩した、事故に遭った、災難に見舞われた――そういう話が、後を絶たない。そして、持ち帰ったものを島に返しに来ると、嘘のように回復するという。だから今も、島には全国から「返却」の品が届く。そこにあるものは、そこにあるのが一番いい。神のものは、神の島に。

冒頭の岡本太郎を、思い出してほしい。彼は、この「持ち帰ってはいけない島」から、最も持ち出してはいけないものを――死者の姿を――持ち出した。そのことの重さは、この島の掟を知ってはじめて、本当にわかる。


久高島には、斎場御嶽とまったく対極の聖地がある。フボー御嶽(クボー御嶽)。

アマミキヨが創った琉球七御嶽のひとつにして、島で最も神聖な場所。だがここは、斎場御嶽のように観光客に開放されてなどいない。何人たりとも、立ち入り禁止。かつては男子禁制で、女性なら入れた。だが今は、男も女も、誰も入れない。唯一足を踏み入れられるのは、祭祀を行うノロだけ。神そのものになれる女だけが、神の庭に入ることを許される。

そしてこの絶対の禁足地を守っているのは、立派な塀でも、警備員でもない。紐が一本、張ってあるだけだ。

ちょっと跨げば、誰でも入れてしまう。物理的には、何の障害もない。それでも人々は、その紐の手前で足を止める。「この地を踏み荒らさないでおこう」と、各々が自制する。その良心だけで、何百年も、この禁足は守られてきた。

物理的に侵入できない場所より、むしろ、跨ごうと思えば跨げるのに誰も跨がない場所のほうが、はるかに聖域として強い。そこには、目に見えない膜が張られている。畏れという名の、見えない壁が。

そして、その膜を破る者がいないわけではない。沖縄の怪談には、こんな話がある。うかつに踏み入ってはいけない御嶽を侵した若者が、神ダーリに陥り――途方に暮れた家族がユタを招いて拝んでもらったところ、若者はマブイ(魂)を落としていると告げられた。御嶽は、軽い気持ちで足を踏み入れる場所ではない。そして近年は、こうも囁かれる。過疎で守る人がいなくなり、捨てられ、守られなくなった御嶽もある、と。捨てられた聖域の上に建った家には、厄災が起きる――と。

開放された斎場御嶽と、紐一本で守られたフボー御嶽。同じアマミキヨの御嶽が、片方は世界遺産として人を迎え、片方は今も人を完全に拒む。この対比そのものが、聖地とは何かを問いかけてくる。


久高島には、島の魂を一言で表す諺がある。「男は海人(うみんちゅ)、女は神人(かみんちゅ)」。

男たちは、成人すると漁師になる。荒れる海へ出て、家族を養う。実際、久高島の海人は腕利きで、中世から近世にかけて、はるか奄美群島まで漁に出かけた。命がけの仕事だ。海難事故も、多かった。

そして女たちは――神になる。

これは比喩ではない。久高島では、島で生まれ育った既婚女性は、30歳を越えると、ほぼ全員、神女になる。一部の特別な女だけではない。要件を満たすほぼすべての女が、ある儀式を通過して、神に仕える存在になるのだ。

おなり神信仰を、思い出してほしい。妹が、兄を霊的に守る。海へ出る男を、神になった女が守る。久高島を撮り続けた写真家・比嘉康雄は、この島を記録した本に、こう題をつけた。

『女が男を守るクニ』。

そして、女が神になる儀式を記録した本には、こう題をつけた。

『主婦が神になる刻』。

その儀式の名を――イザイホーという。


イザイホーは、12年に一度、午年の旧暦11月15日の満月の夜から、四日間にわたって行われた。主役は、前回の祭り以降に30歳を越えた、久高島生まれの既婚女性たち。彼女たちはこの四日間で、一人前の神女になる。600年以上の歴史を持つと史料に記録され、来訪神信仰の儀礼として、日本の祭祀の原型をとどめているとされる。

四日間で、何が行われたのか。一日ずつ、たどろう。

一日目の早朝。「祖母霊の香炉の継承式」。これがイザイホーの、最も深い核心だ。亡くなった祖母の霊力――セジ――が宿った、祖母の香炉。その灰を、ナンチュが持参した小さな香炉に、そっと移す。灰を移すのは、ナンチュの叔母。その香炉を自宅に持ち帰り、家の香炉に移したとき、新しい神女が誕生する。つまりイザイホーとは、死んだ祖母の霊力が、孫娘の身体に乗り移る儀式なのだ。女から女へ、世代を超えて、霊力が受け継がれていく。

一日目の夕刻。「七ツ橋渡り」。日が暮れ、闇が島を包む。白衣を着て、洗い髪を垂らし、素足になった女たちが、「エーファイ、エーファイ」と掛け声をかけながら、祭場へ駆け込んでくる。先輩の神女に先導され、拝殿を七度めぐる。そして――七つ橋を、渡る。

「七つ橋」は、この世と、神々の住む世界との境界に架けられた橋だ。暗闇の中、白装束の女たちが、洗い髪を風になびかせ、この橋の上を疾走してゆく。ただ渡るのではない。この橋渡りは、神女としてふさわしいかどうかを、判定する。ふさわしくない者は、橋から落ちる。そして、落ちた者は死ぬと信じられていた。二人の夫にまみえた女、島の外の男と結婚した女、日頃の素行が悪いとされた女は、神の橋を渡れない。落ちる。島という共同体が、女の一生まるごとを見ている、ということでもあった。

橋を渡りきった女たちは、祖母の霊が待つ「七ツ屋」に入り、一夜を過ごす。二日目の午前、「洗い髪たれ遊び」。他界で祖母霊と一夜を過ごした女たちが、洗い髪のまま、この世へ登場し、舞う。三日目の午前、「朱付(シュリイキ)」。祖母霊と合体し、守護力を備えた女たちが、髪を結い、色紙で作ったイザイ花を前髪にさし、額と頰に朱の印を押される。一人前の神女として、認証を受ける瞬間だ。四日目、「家まわり」。神になった女が家に帰り、守護される者の象徴である兄から、酒盃を受ける。妹が兄を守る――おなり神の契りが、ここで結ばれる。

こうして神女になった女は、ナンチュ、ヤジク、ウンサクー、タムトゥと位を上げ、70歳で退役(テーヤク)するまで、年間20以上の神行事を担い、島の健康と繁栄を、そして家族を、祈り続ける。


ここまでは、儀式の「かたち」だ。だが、活字でしか伝えられないものがある。実際にこの橋を渡り、神になった女たち本人の、肉声だ。

2017年、一人の研究者が、イザイホーを経験した女性13人を訪ね、話を聞いた。最も若い人でも、すでに70代。彼女たちは、自分の言葉で語った。録音はせず、ノートに書き留められた、その声を聞いてほしい。

ある女性は言った。イザイホーを「受ける」とは言わない。島の女は「入る」と言うのだ、と。儀式であると同時に、神行事を担う「組織」に入ることだったから。

店をきりもりしていたある女性。彼女は忙しさを理由に「出ない」と言い、その直後に転んで足を怪我した。「神様から罰が当たった」と思って、湿布をして出た。

別の女性は、台風で漁師の夫を亡くし、民宿を営みながら六人の子を育てていた。苦労の連続だった。それでも彼女は言う。久高に生まれてイザイホーに入らないと良くない、子どもたちのために、入った、と。父方の祖母の姉から、香炉を受け継いだ。

その前年に漁師の夫を亡くし、四人の子を抱えていた女性は、「入らない」と言った。すると、こう叱られた。亡くなった旦那のことよりも、子どもたちのことを考えなさい、入らないといけない、と。彼女は入った。「でも、そのおかげで、みんなに助けてもらえた」と振り返る。

そして、神を「見た」女たちの言葉。

ある女性は、しっかりとした眼差しで、教えるような口調で、こう言った。「神様はいらっしゃいますよ。」

ある女性は言う。「イザイヤマには神様がいらして、本当に神々しかった。」

ある女性は言う。儀式を受けたとき、「普通の人間と違うようになる気がした」「神様になったと感じた」と。

久高島の言葉に、「まさしい」という形容詞がある。正しい、澄んでいる、強い、すごい、優れている――それらを全部ひっくるめた言葉だ。ある女性は、こう言い切った。「イザイホーの神様は、まさしいと思う。神様が、私を見ている。」

これらは、要約ではない。映像でもない。一人ひとりの女が、自分の生涯を振り返って、自分の口から出した言葉だ。足を怪我した女。夫を亡くした女。神を見たと言う女。読んでいると、彼女たちが、一人ずつ、目の前に立ち上がってくる。


さて、ここで、ある研究者が残した数字を見てほしい。年ごとに、何人の女が神になったか。

1942年――14名。 1954年――7名。 1966年――30名。 1978年――8名。

そして。

1990年――ゼロ。

何が起きたのか。過疎だ。戦後、男たちは仕事を求めて島を出た。女たちも島の外で働き始めた。島の人口は激減した。そして、神女になる資格のある女性――島で生まれ、島の男に嫁ぎ、30歳を越えた女性――が、一人もいなくなった。

1978年の8名が、最後だった。それでも信心深い島の人々は、一儀一礼も違えず、全身全霊でやり遂げた。見る者を戦慄させ、感動させた。そして、それが最後になった。

1990年、次の午年。新しく神女になるナンチュは、ゼロだった。儀式の祝詞と段取りを最もよく知る、外間ノロの補佐役も、すでに世を去っていた。正式なイザイホーは、行えなかった。

その代わりに行われたことを知ると、胸がつぶれる。神事の創始者の血を引く家系の、わずか数人に神が憑き、その数人だけで、仮想の「七つ橋渡り」をした。本物の橋も、本物のナンチュも、もういない。それでも、何かを終わらせないために、空想の橋を、数人で渡った。

だれもが、泣いた。

2002年も、2014年も、ナンチュ不在で中止。2014年には、神に中止を詫びる「わびの拝み」まで行われた。

13人の女性の一人は、研究者にこう言った。かつて神歌の中で「イザイホーよ、幾代までも」と謡った、と。永遠に続けと、そう謡ったのだ。そして、こう続けた。「なのに、今はやってない。」

600年以上、12年ごとに繰り返されてきた、女が神になる儀式。日本が忘れた祭祀の原型。それが、私たちの生きているこの時代に、静かに、永遠に、途絶えた。

最後に、イザイホーの忘れられない話を、ひとつ。1978年、最後のイザイホー。そのナンチュの中に、耳の聞こえない一人の女性がいた。彼女は本来、12年前の1966年に、神女になるはずだった。だが、七つ橋で落ちることを危惧され、その時は見送られた。橋を渡れないかもしれない――それは、神女になれないということだ。12年後。彼女の息子は成長し、遠洋漁業の船に乗って、はるかな海へ出ていた。母は、息子の漁の安全を祈るために、自ら志願した。もう一度、神になりたい。海へ出たわが子を、神として守りたい、と。そして周囲の女たちに支えられながら、彼女は七つ橋を渡りきり、無事、神女になった。

男は海人、女は神人。海へ出た息子を、神になった母が守る。おなり神の、いちばん純粋なかたちが、消えゆく儀式の、最後の年に、確かにそこにあった。


第4章 久高島の死 ― 死者もまた、神になる

ここまで「女が神になる」話をしてきた。だが、この島の本当の凄みは、もう半分にある。

久高島では――そして、かつての沖縄の多くの場所では――死者もまた、神になった。

冒頭の風葬を、思い出してほしい。久高島では、死者を土に埋めなかった。島の西側、海に面した岩場(グソー=後生と呼ばれる)に、遺体を納めた棺を置く。そして、風に晒す。雨に打たせる。陽に焼かせる。何年も、何年もかけて、自然に還す。

これは、放置ではない。むしろ、逆だ。

一部の地域では、遺族は風葬の場所へ、毎日、故人の様子を見に行った。

想像してほしい。愛する者の遺体が、少しずつ朽ちていく。その姿を、毎日、見つめる。肉が落ち、骨があらわになっていく。残酷に聞こえるだろうか。だが、沖縄の人々にとって、それは違った。

遺体が朽ちていく、その過程こそが、意味だった。

肉が風化していくにつれ、人は少しずつ、この世から、あの世へと隔たっていく。生々しい肉体が消え、清らかな骨だけになったとき、その人は、人ではなくなる。神になる。祖霊になる。

死は、一瞬の断絶ではなかった。肉が風化していく、長い長い時間をかけた「神への移行」だった。骨になるとは、神になることだった。だから人々は、その移行を、毎日、見守った。

やがて骨は、洗われる。洗骨という。海の水や酒で、きれいに洗い清める。洗骨を終えていない「新しい死者」は、墓の入口近くに置かれ、墓の番をするとされた。まだ、半分こちら側にいるからだ。そして三十三年の年月を経て、死者は完全に、個人であることをやめ、一族を守る祖霊神になる。さらに七代を経て、その魂は、子孫を守護する神として、完全に溶け込んでいく。

死者が向かう先は、ニライカナイだ。


ここで、すべてが一本に繋がる。

ニライカナイ。海の彼方の異界。

そこから、神が来る。アマミキヨが来る。五穀が来る。穀物を運んだのは、黒潮に乗ってきた古代の海洋民族だったのかもしれない。祖先も、食べ物も、命も、すべて海の彼方から来た。

そして、人が生まれる。魂は、ニライカナイから来て、人の身体に宿る。

女は、30を越えると神になる。祖母の霊力を継ぎ、橋を渡り、神人として、海に出た男を、家族を、守る。

人が死ぬ。肉は風化し、骨になり、神(祖霊)になる。そして魂は、ニライカナイへ還っていく。

還った魂は、やがてまた、新しい命として、ニライカナイから戻ってくる。

来て、生きて、神になり、死んで、神になり、還り、また来る。

ニライカナイという一つの異界が、誕生と死の、両方を司っている。生まれる場所と、還る場所が、同じなのだ。海の彼方を中心にした、巨大な円環。久高島という小さな島は、その円環が、まるごと一つの島になったような場所だった。

斎場御嶽が、東の海――ニライカナイの方角に向かって、ずっと手を合わせてきた理由が、これでわかる。あの何もない空き地は、生と死が出入りする扉の、こちら側だったのだ。

岡本太郎が「忘れられた日本」と呼んだものの正体は、たぶん、これだ。死を、断絶ではなく循環として受け止める。死者を、恐れるのではなく、神として迎える。私たちが、近代のどこかで手放してしまった、もうひとつの死生観。


その円環の、最も繊細な場所――死者が神へと移行していく、風葬の聖域。

そこに、一枚のカメラが、踏み込んだ。

1966年、岡本太郎(あるいは同行者)は、島の人との約束を破り、風葬の棺の蓋を開け、白骨化した女性を撮影した。そして、その写真は1967年、週刊朝日の「神秘の島 久高島」という記事に、掲載された。

島民にとって、それは、神になりかけている祖先の、最も無防備な姿を、衆目に晒される、ということだった。死から神への、聖なる移行の途中を、暴かれたのだ。

島の人々は、激怒した。そして、二度とこんなことが起きないように、風葬の場所を、コンクリートで固めた。

その瞬間、久高島の風葬は、終わった。死者が朽ちながら神になっていく、あの時間は、もう流れない。円環の、死の側の半分が、一枚の写真によって、断ち切られたのだ。

ここで、立ち止まってほしい。

岡本太郎は、悪人だったのか。彼は、誰よりも沖縄を愛した。「忘れられた日本」をこの島に見て、それを世に伝えようとした。彼の本は、今も多くの人を、この島へと呼んでいる。あなたが今この記事を読んでいるのも、もとをたどれば、彼が灯した火のせいかもしれない。

愛していた。理解しようとしていた。それでも――いや、だからこそ、彼は撮ってしまった。見たかったから。伝えたかったから。

見ること。撮ること。記録すること。それは、愛の形であると同時に、暴力の形でもある。

そして、私たちは。

三庫理の崩れた穴から、久高島を撮る私たち。神が降りる聖域に立ち、シャッターを切る私たち。命がけで祈るユタの後ろ姿を、つい、カメラに収めようとする私たち。

私たちのその指は、岡本太郎の指と、本当に、違うのだろうか。


斎場御嶽の三庫理は、崩れて絶景になった。久高島の七つ橋は、渡る者がいなくなって消えた。風葬の聖域は、コンクリートで固められた。岡本太郎が眩暈を起こした「何もなさ」は、開かれ、撮影され、消費され、少しずつすり減っていく。

観光客は、崩れた穴から絶景を撮って、帰っていく。同じ岩の前で、カミダーリを越えたユタが、命を賭けて拝んでいる。同じ海を見ても、片方は青い景色を、片方は神の通り道を見ている。同じ場所に立っていても、見ている世界が、まるで違う。

私たちが三角岩の隙間から久高島を眺めるとき、本当に見ているのは、海の向こうの島ではないのかもしれない。

見ているのは――外から来た神を、女が受け止め、人が生き、死んで神になり、また海へ還っていく、その壮大な円環の、最後の燃え残りだ。足を怪我してでも橋を渡った女。神様になったと感じた女。息子のために、もう一度神になった母。毎日、朽ちていく肉親を見守った遺族。そして、「イザイホーよ幾代までも」と謡いながら、その幾代を、もう持てなかった島。

それらすべてを、私たちは、ただ「見ている」。

カメラを持って。

だから、最後に問いたい。

あなたは、この島に、ただ「見に来た」のか。

それとも――もう、呼ばれているのか。

そして、もし呼ばれているのなら。あなたは、ここで何を見て、何を撮り、何を持ち帰り、何を、そっと、そのまま置いていくのか。

海の彼方は、今日も、静かにこちらを見ている。


神は、海の彼方から来る。 女は、神になって男を守る。 死者は、朽ちて神になり、海の彼方へ還る。 そして、また来る。 その円環の前で、私たちはただ、カメラを構えている。


旅の心得

「呼ばれる」と感じたら。 急に気になって調べていた、予定が変わって行くことになった――そういう人がいる。沖縄では、珍しい話ではない。

気が進まない日は、無理をしない。 体調が優れない、なぜか気が向かない。そういう時は日を改めるのも、この土地への敬意のひとつだ。

何も持ち帰らない。 特に久高島では、石・砂・貝・草木の持ち帰りは固く慎むこと。そこにあるものは、そこにあるのが一番いい。

むやみに撮らない。 祈る人、祭祀、聖域の奥。カメラを向ける前に、一度、考える。この記事が問うたのは、結局そのことだ。

禁足の紐は、跨がない。 フボー御嶽をはじめ、立ち入り禁止の聖域には絶対に入らない。守っているのは、訪れる一人ひとりの良心だ。

足元は歩きやすい靴で。 斎場御嶽は急な坂と滑りやすい石畳。ヒール・革靴は避けること。


基本情報

斎場御嶽(せーふぁうたき) 沖縄県南城市知念字久手堅270-1 入場券は「南城市地域物産館」(同539)の券売機で購入。入口まで徒歩7〜8分。 入場料:大人300円/小中学生150円 2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界文化遺産に登録。

久高島(くだかじま) 南城市・安座真港からフェリー/高速船で約15〜25分。 島内はレンタサイクルか徒歩で。聖域への立ち入り、動植物・石・砂の持ち帰りは厳禁。 フボー御嶽は全面立入禁止。


もっと深く知りたい人へ(参考文献)

小原猛『沖縄の怖い話』『琉球怪談』 ― マブイ、キジムナー、神ダーリ、赤いUFO。沖縄の生きた怪異の宝庫。

岡本太郎『沖縄文化論―忘れられた日本』(中公文庫) ― 「何もないことの眩暈」の原典であり、「後生事件」の当事者の記録でもある。

比嘉康雄『神々の古層』シリーズ/『神々の原郷 久高島』 ― 久高島を撮り、記録し続けた写真家の労作。「女が男を守るクニ」「主婦が神になる刻」。


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