クロマンタ ―― 牧師が「日本のピラミッド」と呼んだ、UFOが降りる三角錐
秋田・黒又山。地下10mの石棺、狂う方位磁針、そして32km先のキリストの墓。
一枚の墨絵がある。
描いたのは鳥谷幡山。明治から昭和を生きた、れっきとした日本画家だ。彼はある日、秋田の片田舎にぽつんと立つ三角の山を筆でとらえた。そして余白に、こう書き添えた。「ピラミッド黒又山俗にクロマンタと云ふ」。
それだけなら、ただの風景画だ。問題は、その山の上空である。幡山はそこに、光の尾を引いて飛ぶ「何か」を描き込んでいる。円盤とも、彗星とも、火の玉ともつかない、未確認の飛行物体を。
戦前だ。スマホもない。SF映画もまだ日本に根づいていない。UFOという言葉すら、ほとんどの日本人が知らない時代。その頃に一人の画家が、東北の山を「ピラミッド」と呼び、その頭上に光るものを描いていた。
そして九十年が過ぎたいまも、その同じ山の上空で、光は目撃され続けている。
これは、その山の話だ。
第1章 牧師は、なぜ日本にピラミッドを見たのか
あの墨絵を描いた鳥谷幡山は、ただの風景画家ではなかった。彼にはある「同行者」がいた。その男の名を、酒井勝軍(さかい かつとき)という。
経歴を聞くと、誰もが一瞬、混乱する。
酒井は1874年、山形に生まれた。15歳でキリスト教の洗礼を受け、牧師となった人物だ。つまり出発点は、一神教の伝道者である。ところが彼は、ある時期から超古代史の研究にのめり込んでいく。中東使節団の通訳としてエジプトへ渡り、本物のピラミッドをその目で見たとき、常人とは正反対の結論にたどりついた。普通なら「日本にはこんなものはない」と思うところだ。だが酒井はこう確信した——ピラミッドの起源は、日本にある。エジプトのピラミッドすら、太古に世界を巡った日本民族が建造したものだ、と。
彼の世界観は、現代の常識からすれば荒唐無稽だ。太古の日本は「天之浮船(あめのうきふね)」と呼ばれる乗り物で世界中を巡行し、地球を支配していた。やがて天変地異が起き、その子孫が各地に取り残された——そう説いた。日本人とユダヤ人の祖先は同じだとする日ユ同祖論を唱え、茨城の皇祖皇太神宮に伝わるという謎の古文書『竹内文書』に、古代ピラミッドの記述を探し求めた。
そんな酒井が、ピラミッドを見分けるために定めた「条件」がある。整った三角形の山であること。山頂付近に、球形の「太陽石」と、それを囲む列石があること。そして本殿とは別に、低い山の「拝殿」が伴い、そこに方位を示す石、太陽光を反射する鏡石、巨石を組んだ祭壇がそろっていること。彼はこの物差しを手に、日本各地の山を「ピラミッド」として次々に認定していった。
最初の一つは、広島県庄原市の葦嶽山(あしたけやま)だった。1934年、酒井はこの三角錐を「2万3000年前に造られた太陽神殿」だと発表する。本殿の頂に太陽石をいただき、隣の峰を拝殿とする——日本ピラミッド第1号の誕生だ。この発表を皮切りに、葦嶽山、青森の大石神、富山の尖山、徳島の剣山——その数、二十か所あまりの「日本ピラミッド」が、列島の各地で見いだされていく。
酒井の「太陽石」へのこだわりには、不気味な符合がある。彼が言うには、ピラミッドの頂には球形の太陽石が据えられていたという。ところが後年、南米で出土したピラミッドを描いた金板には、まさに頂上に丸いものが描かれていた。エジプトの大ピラミッドの頂にも、古代には球形の巨石が置かれ、冬至の太陽と重なっていたという記録がある。なぜ一介の日本人牧師が、世界のピラミッドに共通する「頂の球」の存在を知っていたのか——それ自体が、いまも謎の一つとして残されている。
そして、その認定リストに、秋田のクロマンタもあった。昭和9年(1934年)ごろ、酒井はこの黒又山を、自然の山を利用して人為的に造られた「太陽礼拝所」として認定したのである。
だが、彼の探究は静かには終わらなかった。著書『太古日本のピラミッド』は、当局の命によって発禁処分となる。それだけではない。酒井が報告した太陽石や列石といった遺構の一部は、邪教の類いとして政府の手で破壊されたとも伝えられる。
牧師がたどりついた、日本ピラミッド説。国家がわざわざ発禁にし、遺構まで壊したという、その物語。馬鹿げた妄想と笑い飛ばすのは簡単だ。だが——その半世紀後、酒井がとうに世を去ったあとで、まったく別の人々が、科学のメスを手にこの山に分け入ることになる。そして、笑えないものを掘り当ててしまうのだ。
第2章 削られた山と、地下の石棺
1992年。ついに、考古学者たちがこの山に入った。
占い師でも、超能力者でもない。同志社大学の研究グループを中心に組織された「黒又山総合調査団」だ。彼らは地中レーダー、赤外線写真、航空写真といった当時の最新機材を担ぎ上げ、本気でこの三角錐を調べ尽くした。動機の半分は、おそらく「オカルトの正体を暴いてやろう」という冷めた好奇心だったはずだ。
ところが、出てきた結果は、その冷めた空気を凍りつかせるものだった。
まず山体そのものは、溶岩が盛り上がってできた自然の山だと判明した。「丸ごと人工のピラミッド」ではない。ここは正直に書いておく。だが、問題はその表面だ。**山の斜面には、7段から10段にもおよぶテラス状の構造が確認された。**張り出した部分は幅およそ10メートル、高さ2〜3メートル。そしてその表面には、小さな礫がびっしりと貼りつけられた形跡があった。自然の山を土台に、人の手で段々に削り、石を貼って整える——それはまさに、中南米のマヤやアステカが造った「階段ピラミッド」の手法そのものだった。
不自然なものは、ほかにもあった。この山の地表からは、本来そこにあるはずのない川石が数多く見つかっている。角の取れた、丸い川の石だ。山の上に、ひとりでに転がってくるはずがない。誰かが、ふもとの川から大量に運び上げたとしか考えられない。
出土品も尋常ではなかった。石器、土器、土製品に加え、鉄釘や古銭まで。とりわけ異様なのが、石英安山岩から作られた刻文石製品——文様が刻まれた石の道具が、山頂・斜面・山麓から16個も出土したことだ。縄文時代に小型の刻文石製品が出た例は他にもある。だが、これほど大型のものが、これほど狭い区域に、これほど集中して出るのは、極めて異例とされる。誰かが、この一つの山に、特別な意味を込めて道具を納めた。そう考えるほうが、よほど自然だった。
そして、調査が突き止めた最大の謎は、地上ではなく地下にあった。
山頂の社殿、その真下に、巨大な岩が埋められていた。——ここで思い出してほしい。酒井勝軍がピラミッドの条件に挙げた、頂上の「太陽石」を。社殿の下に眠るこの巨岩こそ、酒井のいう太陽石ではないか、と見る者もいる。
さらに頂上から少し下った地点では、地下およそ10メートルのところに、南・西・北の三面を壁で囲まれた、一辺10メートルほどの空洞が見つかった。報告によれば、その空洞には石棺のようなものがあり、何者かが埋葬されている可能性が高いという。
加えて、クロマンタの北東わずか数十メートルには「小クロマンタ」と呼ばれる小山がある。一部の研究者は、これを本体を拝むための「拝殿」ではないかと見る。本殿と拝殿——奇しくも、酒井が掲げたピラミッドの条件と、ぴたりと重なる構造だ。
オカルトを笑いに来たはずの科学が、笑えない人工物を掘り当てて、黙り込んだ。完璧な三角錐。削られた階段。運び上げられた川石。山ほど集中する祭祀の道具。そして頂のさらに地下、暗闇に据えられた石の棺。縄文人は誰を、なぜ、これほど厳重に、天に最も近い場所へ葬ったのか。そして——この調査に関わった者たちには、ある不吉な噂が、いまもつきまとっている。
第3章 狂う方位磁針と、消えた調査員
山頂の本宮神社。その前に立って、方位磁針を手のひらに載せてみる。
すると、針が定まらない。北を指すべき針が、行き場を失ったようにくるくると揺れ、どこも指さなくなる。ここは、地磁気が打ち消し合う**「ゼロ磁場」**だと言われている。
ゼロ磁場と聞いて、長野の分杭峠(ぶんぐいとうげ)を思い浮かべる人もいるだろう。日本有数の「気場」として知られ、写真を撮ると白いモヤが写り込むことで有名なあの峠だ。クロマンタの山頂でも、同じ現象が報告されている。本宮神社のあたりだけ、写真に白いモヤがかかり、視界がにじむ。少し離れれば空気はくっきり澄んでいるのに、神社の前だけ「なんだかまぶしい」。そういう体験談が、いくつも残されている。
この磁場の異常を、ある人々はこう表現する。クロマンタは、エネルギーを生み出す装置だ、と。**「5次元エネルギーの生成装置」**だと唱える者すらいる。突飛に聞こえるだろうか。だが、忘れてはいけない。この山の発光現象は、最近始まったものではない。江戸時代から、この山ではたびたび「光るもの」が見られてきたという記録がある。ピラミッドがエネルギーを放っているのだとも、相次ぐUFOの目撃なのだとも語られながら。
そして——調べる者を阻むかのような、もう一つの話がある。証拠のある事実ではない。あくまで地元や愛好家のあいだで囁かれてきた「噂」だ。そう断った上で、書く。
**あの学術調査のあと、関わった人々に不幸が続いたという。**ある語りによれば、調査隊のメンバー15人のうち3人が死亡し、8人が事故や発病など何らかの不幸に見舞われた、と。15人中、実に11人。そして調査の途中で隊員の何名かが不慮の事態に陥り、調査そのものが中止された——とも伝えられる。
エジプトのツタンカーメン王墓を暴いた者たちを次々に襲ったとされる「ファラオの呪い」。墓を開けた資金提供者が原因不明の熱病で命を落とし、関係者の不審死が相次いだ、あの世界的な伝説と、まったく同じ構図が、この東北の三角錐をめぐっても語られているのだ。繰り返すが、これは噂であって、因果が証明されたわけではない。偶然の不幸が、あとから一本の物語に編み上げられただけかもしれない。だが地元の人々はこう言う。あの山に、軽い気持ちで手を出してはいけない、と。そして実際、調査は途中で止まり、地下の石棺に本格的なメスが入れられることは、今日に至るまでなかった。
山は、暴こうとする者を拒むかのようだった。だが、拒まれているのは、クロマンタだけではない。この謎は、一つの山に収まる話ではなかったのだ。
第4章 東北ピラミッド回廊 ―― 32km先のキリストの墓
クロマンタから車を一時間ほど走らせる。県境を越えて青森県、新郷村(しんごうむら)。
そこに、もう一つのピラミッドがある。大石神ピラミッドだ。
この山を「日本のピラミッド」として世に出した系譜をたどると、また酒井勝軍に行き着く。そしてここで、第1章の伏線が回収される。酒井のピラミッド調査に同行していたあの画家——クロマンタの上空にUFOを描いた鳥谷幡山その人が、この大石神ピラミッドの「発見者」なのである。クロマンタの墨絵を握った同じ手が、32キロ先のこの山にも伸びていた。
大石神が不気味なのは、クロマンタで「あったが壊された」とされるものが、ここには現物として残っている点だ。山の斜面には巨石が点在し、酒井のいう条件そのままに、太陽石、星座石、そして表面を磨いた鏡石が置かれている。駐車場のすぐそばに太陽石と星座石、少し下った土の斜面に鏡石。順路をたどれば、一つひとつを目の前で見ることができる。クロマンタで政府が破壊したと伝わる聖具が、ここでは時を超えて立ち続けているのだ。
そして——ここからが、この土地の本当の異様さだ。
大石神ピラミッドから、車でわずか10分。そこには「キリストの墓」がある。
冗談のような話だが、現地には立派な墓と、それを説明する伝承が存在する。昭和10年(1935年)、茨城の皇祖皇太神宮に伝わる古文書『竹内文書』から、突拍子もない説が飛び出した。いわく、ゴルゴタの丘で十字架にかけられたのは、実はイエスの弟「イスキリ」だった。イエス本人はひそかに刑を逃れ、中部アジアからシベリア、アラスカを経て日本の八戸へ上陸し、戸来村(新郷村の旧名)にたどりつき、106歳の天寿をまっとうしてここに葬られた——と。竹内文書はさらに踏み込む。イエスは21歳から十数年を日本で過ごし、さまざまな学問を学んでいたというのだ。奇妙なことに、この期間は、聖書がイエスの足どりをいっさい記していない、いわゆる「空白の十二年」とぴたりと重なる。
そして、ここで第1章の伏線が、もう一度回収される。この『竹内文書』を携えて戸来村に乗り込み、笹に埋もれた塚を「キリストの墓」と断定した調査団——そのメンバーの中に、またしても鳥谷幡山がいたのである。クロマンタの上空にUFOを描き、大石神ピラミッドを発見し、そしてキリストの墓を掘り当てた。一人の画家の足が、東北の三つの謎すべてを踏んでいる。
新郷村が「神秘の村」と呼ばれる理由は、墓だけではない。この村にはかつて「戸来(へらい)」という地名があり、これが古代イスラエルを指す「ヘブライ」の訛りだとする説がある。墓を所有する旧家・沢口家の家紋は、かつて六芒星——イスラエルのシンボルであるダビデの星と同じだったと伝わる。子供を初めて野外に出すとき、額に墨で十字を描く風習。父をダダ、母をガガと呼ぶ言葉。意味の解けない盆踊り唄「ナニャドヤラ」がヘブライ語ではないかという指摘。日本人とユダヤ人の祖先は同じだと唱えた、酒井勝軍の日ユ同祖論。その世界観が、ピラミッドとキリストの墓という二つの形をとって、この一帯の土に貼りついているかのようだ。
公平のために書いておく。歴史学の主流は、これらの古文書を後世の偽作とみなしている。墓も、地元の旧家に代々伝わる「偉い人の塚」がその正体で、十字架にかけられたキリスト教徒のロシア人船夫の墓だったとする説さえある。冷静に見れば、村おこしのために育てられた伝説、と切り捨てることもできるだろう。だが——それでも、消えない事実がある。新郷村の西端は、秋田県鹿角市と境を接している。クロマンタのある町と、キリストが眠るとされる村は、地図の上で隣り合っているのだ。
整理しよう。秋田のクロマンタ——地下に石棺を抱え、上空にUFOが舞う三角錐。そこから車で一時間の圏内に、太陽石を備えた青森のピラミッドと、救世主が眠るとされる墓がある。酒井は晩年、日本各地のピラミッドを線で結ぶと、大地のエネルギーをつなぐ巨大なラインが浮かび上がると主張した。クロマンタは、ぽつんと孤立した一つの奇談ではない。東北の山あいに張り巡らされた、見えない回廊の一点なのだ。
一人の牧師と、一人の画家。彼らの足跡が、この山々を縄でくくるように結んでいる。彼らは、いったい何を結ぼうとしていたのだろうか。
第5章 縄文人は、ここで何を送り、何を呼んだのか
もう一度、最初の墨絵に戻ろう。
だがその前に、実際にこの山に登った、一人の新聞記者の話をしておきたい。彼は「ピラミッド」を見るつもりで坂をのぼった。地中レーダーが人工物を捉えた、あの山だ。ところが頂上まで来ても、それらしい人工の構造は、目には見えなかった。代わりにそこにあったのは、登山口の鳥居、山頂に静かに鎮座する本宮神社、そして点在する小さな祠と、一つの水槽だった。
その本宮神社の縁起をたどると、本宮徳次郎という一人の医者にたどりつく。彼はこの山に、病を癒す仏・薬師如来を祀った。ふもとには漢方の薬草が自生し、山頂の祠には目の病を治す神が祀られ、近くの水槽は、その目を洗うためのものだったという。地元では、クロマンタでは雷があまり鳴らず、水は甘いとも言い伝えられてきた。
つまり記者がそこで出会ったのは、UFOでも宇宙人でもピラミッドでもなく、薬師如来に手を合わせ、目の病の平癒を願ってきた、ごく普通の人々の祈りの跡だったのだ。
ここに、この山の本当の二重性がある。外から来る者は「ピラミッドか」「宇宙人か」「呪いか」と騒ぎ、レーダーを担いで謎を暴こうとする。だが地元の人々は、何千年も前から、ただ静かにこの三角錐を見上げ、命と健康を祈り、年に二度、集落の総代が山に登って酒を酌み交わしてきた。騒ぐ外の視線と、祈る内の視線。どちらが、この山の正体に近いのだろうか。
私たちはつい、こう問うてしまう。「UFOは実在するのか?」「ピラミッドは本物か?」と。だが、それはおそらく、浅い問いだ。
この山の名を、もう一度思い出してほしい。クロマンタの語源には諸説あるが、その一つに「クル・オ・マン・テ・イ」——神を送るところ、という説がある。
縄文の人々は、この三角錐の頂で、何かを天へ送り出していたのではないか。死者の魂か、祈りか、あるいは彼らが「神」と呼んだ、人ならざる何かか。そして送り出すからには、いつかそれを呼び戻すための場所でもあったのではないか。送り、そして呼ぶ。山頂の地下に据えられた石の棺は、その往復のための「扉」だったのかもしれない。
鳥谷幡山が九十年前に描いたのは、もしかすると、UFOではない。縄文人がこの山から天へ送り出し、そしていまもなお呼び戻し続けている「何か」の、ほんの一瞬の姿だったのではないか。
クロマンタ。人ならざるものが眠り、神を送り、そして呼ぶ三角錐。
その扉が次に開くのは、いつ、誰の頭上でだろうか。


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