クロマンタ。
神を送る三角錐。
KUROMANTA — NEON PILGRIMAGE
秋田の小さな三角錐に、九十年前の画家はUFOを描いた。地下十メートルには石棺が眠り、頂上では今日も方位磁針が狂う。これは過去の昔話ではない。いまも稼働しつづける、縄文の「送信機」の話だ。
SCROLL ▽第1章 一枚の墨絵に、UFOが描かれている
まず、一枚の古い絵の話から始めたい。
描いたのは、鳥谷幡山(とや ばんざん)という日本画家だ。青森に生まれ、明治から昭和にかけて活躍した、当時はそれなりに名の知れた人物である。名前は覚えなくていい。覚えてほしいのは、彼が昭和十七年に描いた、一枚の墨絵のことだ。
絵そのものは、静かな山水画に見える。なだらかな稜線、ふもとの集落、墨のにじみで表した空気。秋田のある山を描いた風景画だ。ところが、空の一点に、見過ごせないものが描き込まれている。光の尾を引いて飛ぶ、円盤状の何か。そして余白には、画家自身の筆で、こう記されている。「ピラミッド黒又山 俗にクロマンタと云ふ」。
昭和十七年は、西暦一九四二年。太平洋戦争のさなかだ。「空飛ぶ円盤」という言葉が世界に広まるきっかけになったアメリカの事件は、これより五年あとに起きる。UFOという言葉が一般化するのは、さらに先のことだ。その時代に、この画家は、戦時中の秋田の空へ、飛行物体を描いた。それも、ただの山の上にではない。「ピラミッド」と自ら書き添えた、その山の上に。
絵の主役である、その山のことを話そう。秋田県鹿角市。十和田湖からほど近い、十和田大湯という土地に、その山はある。標高はわずか二百八十メートル。裏山と言ってもいいくらいの、小さな山だ。だが、形が変わっている。どこから見ても、定規で引いたような、きれいな三角錐をしている。自然の山は、風や水に削られて、稜線が崩れ、頂はいくつにも割れていく。この山は、まるで誰かが意図して整えたように、ただ一点に向かってすぼまっている。
地元の人は、この山を正式名の「黒又山」とは呼ばない。古くから、ただ「クロマンタ」と呼んできた。語源には諸説あり、その一つに、アイヌの言葉で「人ではないもの」を意味するという説がある。
この山のすぐ南西、わずか二キロほどのところに、日本の考古学が誇る縄文の遺跡がある。大湯環状列石。ストーンサークルだ。万座(まんざ)と野中堂(のなかどう)、二つの石の輪からなり、大きいほうは最大径が五十メートルを超える。およそ四千年前、縄文の人々が、二〜四キロ離れた川から運んだ石を、一つひとつ並べて造った。墓だという説、暦だという説があり、何のために造られたのかは、いまも完全には分かっていない。
ここで、地図を頭に思い浮かべてほしい。四千年前の縄文人が、膨大な手間をかけて石を並べた、その聖なる輪。そのすぐ北東に、定規で引いたような三角錐がそびえている。北東は、いわゆる鬼門の方角にあたる。
縄文人は、この山を見上げていた。四千年後、昭和の画家は、その同じ山の上に、円盤を描いた。
そして、二つの視線が交わるその頂上には、いま、神社が建っている。本宮神社という。鳥居をくぐって登ると、社殿の前に、知る人ぞ知る一点がある。そこで方位磁針を手のひらに載せると、針が北を見失う。くるくると揺れて、どこも指さなくなる。地面から離せば、また素直に北を向く。社殿の前の、畳数枚ぶんの場所だけ、地球の磁石が乱れている。
四千年前の石の輪。九十年前の、円盤の絵。今日、登れば誰の手のなかでも狂う方位磁針。登山口の鳥居は今日も開いているし、磁針は今日も狂う。
この小さな三角錐を最初に「ピラミッドだ」と言い切った男がいる。職業は、キリスト教の牧師だった。
第2章 牧師は、エジプトで「日本」を見た
その男の名は、酒井勝軍(さかい かつとき)という。
一八七四年、山形生まれ。十五歳でキリスト教の洗礼を受け、牧師になった。出発点は、一神教の伝道者である。その彼が、ある時期から、超古代史にのめり込んでいく。
きっかけは、一冊の古文書だった。茨城のある神社に伝わる『竹内文書(たけうちもんじょ)』。酒井はこれを、歴史を書き換える本物の超古代史料だと信じた。そこにはこう記されていた。太古、世界の中心は日本にあった。天皇の祖先は「天之浮船(あめのうきふね)」という空飛ぶ船に乗り、世界中を巡行して、各地を治めていた——。
この「太古日本が世界を支配していた」という前提を、酒井は疑わなかった。すべての理屈は、ここから始まる。
一九二七年、酒井は陸軍からユダヤ研究のために中東へ派遣され、エジプトで本物のピラミッドを目にする。普通の人間なら「日本にはこんなものはない」と圧倒されて終わる場面だ。だが、竹内文書を信じきった酒井の頭は、まったく逆に回転した。
彼にとって、ピラミッドは王の墓ではなかった。神と人とが交信するための装置であり、太陽を祀る神殿だった。そして太陽信仰こそ、太古日本の宗教だと彼は考えていた。ならば話は単純だ。空飛ぶ船で世界を巡った日本民族が、行く先々で太陽の神殿=ピラミッドを建てた。エジプトのそれは、日本人が異国に残した一つの「写し」にすぎない。ピラミッドの本家は、日本にある——。
理屈の決め手として、酒井は「太陽石」を持ち出した。本物のピラミッドの頂には、球形の太陽石が載っているはずだ、と彼は言う。ところが、エジプトの現存するピラミッドの頂に、そんな石はない。ここで説は崩れてもよさそうなものだが、酒井はまた逆に読んだ。頂の太陽石を失ったエジプトのものこそ、本家ではない証拠、つまり「分家」なのだ、と。
奇妙なのは、その先だ。後年になって、南米クエンカで出土したピラミッドを描いた金板に、頂上の丸いもの——酒井のいう太陽石が描かれていた。フランスの考古学者の書物にも、エジプトの大ピラミッドの頂に、かつて直径一・八七メートルの球形の石が据えられ、冬至の太陽とぴたり重なっていた、という記述が見つかる。そもそも「太陽石」という言葉自体、酒井が世界で最初に言い出したものだった。写真も資料も乏しい時代に、一人の日本人牧師が、なぜ世界中のピラミッドに共通する「頂の球」を知っていたのか。これも、いまだ解けない謎の一つとされている。
酒井は、こうして組み上げた物差しを片手に、日本中の山を測って歩く。ピラミッドの条件は、三つ。一つ、整った三角形の山であること。二つ、山頂付近に、球形の「太陽石」と、それを囲む列石があること。三つ、本体とは別に、遥拝するための低い「拝殿」の山が寄り添っていること。
最初に認定したのは、広島の葦嶽山(あしたけやま)だった。一九三四年、彼はこの三角錐を「二万三千年前に造られた太陽神殿」だと断定する。日本ピラミッド第一号だ。新聞が書き立て、広島の山村に見物客が押し寄せた。これを皮切りに、青森の大石神、飛騨高山の上野平——次々と「日本ピラミッド」が「発見」されていく。同じ系譜の中で、秋田のクロマンタもまた、日本ピラミッドの一つとして数えられるようになった。
ここで、酒井が言う「日本のピラミッド」とは何だったのかを、彼自身の言葉で押さえておきたい。彼の定義は、こうだ。日本のピラミッドは、エジプトのような、ゼロから積み上げた人工の建造物ではない。自然の山や地形を土台に、石や土を半ば人の手で積み上げて造ったものだ。そして数千年という長い年月のうちに、風雨になじみ、自然の山のように見えるまでになった——。古墳が、地上から見れば自然の丘と区別がつかないのと同じだ、と彼は言った。
この定義を、覚えておいてほしい。半世紀後、科学者たちがクロマンタの地面を削ったとき、そこから出てきたものは、酒井のこの言葉と、不気味なほど一致することになる。
彼の著書『太古日本のピラミッド』は出版されたものの、酒井の本はしばしば特別高等警察に押収され、彼自身も拘束されている。日本の天皇が世界に君臨すべきこと、超古代の日本に優れた文明があったこと——その主張が、時局に触れたためだ。
牧師の見立ては、こうして歴史の隅に追いやられた。
その半世紀後。酒井がとうに世を去ったあとで、まったく別の人々が、今度は科学のメスを手に、この山に登ってくる。
第3章 学者は、否定しに来て、肯定して帰った
一九九二年。考古学者たちがクロマンタに入った。
同志社大学の研究者を中心に組まれた「黒又山総合調査団」だ。彼らは地中レーダー、赤外線写真、航空写真といった、当時の最新機材を山頂まで担ぎ上げた。古代のロマンを確かめるというより、その正体を科学で見極めるための調査だった。
まず、彼らは一つの事実を突き止めた。山体そのものは、自然の山である。溶岩が盛り上がってできた、天然の山だ。「丸ごと人工のピラミッド」ではなかった。
問題は、その表面だった。
レーダーは、山の斜面に、七段から十段にもおよぶテラス状の構造を捉えた。張り出した平場は、幅がおよそ十メートル、高さが二、三メートル。その表面には、小さな石がびっしりと貼りつけられた跡があった。自然の山を土台に、人の手で段々に削り、石を貼って整える。中南米のマヤやアステカが造った「階段ピラミッド」と同じ手法だ。天然の山だが、表面は人が刻んでいた。
ここで、第2章の酒井の定義を思い出してほしい。日本のピラミッドは、自然の山を土台に、石や土を半人工的に積み上げたもの——。笑い者にされた牧師が半世紀前に語った定義を、考古学者のレーダーが、そのままなぞっていた。
地表からは、本来あるはずのない川石が大量に見つかっている。角の取れた、丸い石だ。山の上に、ひとりでに転がってくるものではない。ふもとの川から、誰かが一つずつ運び上げたことになる。第1章で触れた、二キロ先のストーンサークルも、川から運ばれた石でできていた。同じ手間が、近い時代に、二キロ離れた二か所で払われている。
出土品も多い。石器、土器、土製品に加えて、鉄釘や古銭まで。とりわけ目を引くのは、文様を刻んだ石の道具——刻文石製品が、山頂から斜面、山麓にかけて、十六個もまとまって出たことだ。これほど大型のものが、これほど狭い範囲に集中して出るのは、極めて異例とされる。
そして、調査団が掘り当てた最大のものは、地下にあった。
頂上の社殿の、ちょうど真下。そこに、巨大な岩が埋まっていた。第2章の、酒井勝軍が「ピラミッドの条件」に挙げた頂上の太陽石を思い出してほしい。社殿の下に眠るこの巨岩こそ、酒井の言った太陽石ではないか——そう見る者もいる。
さらに、頂上から少し下った地点。地下およそ十メートルのところに、南・西・北の三方を壁で囲まれた、一辺十メートルほどの空洞が見つかった。報告によれば、その空洞の中には、石棺のようなものがある。何者かが、そこに埋葬されている可能性が高いという。
天に最も近い、三角錐の頂。そのさらに地下。光の届かない石の箱の中に、誰かが眠っている。
この空洞は、その後あらためて確認されている。二〇二二年、東北大学の協力のもと、テレビ番組の企画で最新のレーダー機器を使った再調査が行われた。三十年前とは比べものにならない精度で、もう一度、山を透かして見た。空洞は、やはりそこにあった。
否定しに来た学者たちが持ち帰ったのは、「ただの山だった」という結論ではなかった。削られた階段。運ばれた川石。集中する祭祀の道具。頂上の太陽石。地下十メートルの石の棺。「ここには確かに、何かがある」という結論だった。
縄文人は、誰を、なぜ、これほど厳重に、天に最も近い場所へ葬ったのか。そして、なぜ三角錐だったのか。丸い塚でも、四角い墳丘でもなく、天に向かって一点にすぼまる、この形が選ばれている。
その「形」そのものをめぐる研究が、後年、エジプトから届く。
第4章 その三角は、天に向かって電波を撃つ
ピラミッドパワーという言葉がある。三角錐の形そのものに、不思議な力が宿るという説だ。
出どころは、一九三〇年、エジプトのギザにさかのぼる。大ピラミッドの内部を見学していたフランス人、アントワーヌ・ボビーは、足元に転がっていた小動物の死骸に気づいた。腐っていない。乾ききって、ミイラのようになっている。湿気のこもる石室の奥で、腐らずに乾いていた。彼は帰国後、ボール紙でピラミッドの模型を作り、中に生肉や卵を置いた。すると、やはり乾いた。腐らず、干からびた。これが「ピラミッドパワー」という言葉が生まれた最初の例だと伝わる。
話が大きく動いたのは、一九五〇年代のチェコスロバキアだ。無線技師カレル・ドレバルは、段ボールで高さ十五センチほどの小さなピラミッドを作り、中に、使い古して切れなくなったカミソリの刃を入れた。すると、刃が、また切れるようになった。彼はこの「ピラミッド型カミソリ研ぎ」で、一九五九年に特許を取得している。
この話が一九七〇年代の日本に上陸すると、ちょっとした社会現象になった。花を入れればドライフラワーになり、牛乳は腐らず、ピラミッド型のテントで瞑想すれば頭が冴える。本物のエジプトのピラミッドである必要はない。紙の模型でいい。形さえ正しければいい。そういう触れ込みだった。科学はこれを疑似科学として退けた。乾燥は空気の対流で説明がつく、刃が切れるのは思い込みだ、と。ピラミッドパワーは、昭和の流行として、やがて忘れられていった。
その評価が揺れたのが、二〇一八年だ。
ロシアのサンクトペテルブルクにあるITMO大学などの研究チームが、応用物理の専門誌『Journal of Applied Physics』に、一本の論文を載せた。内容はオカルトではない。ギザの大ピラミッドに、ある波長の電磁波を当てたとき、そのエネルギーが内部でどう振る舞うかを、物理計算で割り出す。電磁気学の研究だ。
結果はこうだった。ピラミッドは、外から来た電磁波のエネルギーを、内部の三つの空間に集中させる構造になっていた。その三つとは、王の間、女王の間、そして、その下の地下室。ピラミッドの中で「最も重要な部屋」に、ちょうどエネルギーが集まる形になっていた。
ここで、第3章を思い出してほしい。クロマンタの頂上の、その地下十メートル。三方を壁に囲まれた、石棺の眠る空洞を。
線は引いておく。エジプトの精緻な石灰岩のピラミッドと、土と石で段々に削った秋田の三角錐を、同じ物理で語ることはできない。クロマンタの石棺が電磁波を浴びているという証拠は、ない。
ただ、論文には、もう一つの結果があった。シミュレーションでピラミッドを複数並べると、ピラミッド同士で共鳴が起き、電磁場の集まり方が、さらに強くなった。
一つでは、ただの形。並べると、響き合う。
そして、クロマンタは、並んでいる。
車で一時間ほど走り、県境を越えた青森県の新郷村(しんごうむら)に、もう一つのピラミッドがある。大石神(おおいしがみ)ピラミッドだ。発見者として名が残るのは、第1章の画家——空に円盤を描いた、鳥谷幡山その人だ。一九三四年、葦嶽山の騒ぎと同じ年に、彼はこの山を「太古日本、第二のピラミッド」として世に出した。クロマンタの絵を描いた同じ手が、三十二キロ先のこの山にも伸びていた。大石神には、クロマンタで「あったが壊された」とされる太陽石・星座石・鏡石が、現物として、いまも斜面に立っている。
新郷村には、もう一つの名所がある。大石神からさらに車で十分のところにある、「キリストの墓」だ。立派な墓と、それを支える伝承が、現地に実在する。ゴルゴタの丘で十字架にかかったのはイエスの弟イスキリで、イエス本人はひそかに日本へ逃れ、この村で天寿をまっとうした、という伝承だ。この塚を「キリストの墓」と世に出したのも、たどれば竹内文書と、その周辺にいた者たちだった。クロマンタに円盤を描いた画家、大石神を発見した画家、そしてキリストの墓——東北の三つの謎が、同じ一群の人々の手で、近い時期に世へ送り出されている。
そして、この神話の射程は、東北だけでは終わらない。キリストの墓が世に出たのと同じ一九三五年、竹内文書を公開した竹内巨麿(たけうち きよまろ)は、今度ははるか離れた石川県の能登半島で、もう一つの墓を「発見」する。モーゼの墓だ。旧約聖書で十戒を授かった、あのモーゼが、日本にたどりついて五百八十三歳まで生き、この地に葬られた、という。
ここで思い出してほしいのは、その移動手段だ。竹内文書をめぐる伝承によれば、モーゼも、そしてイエスも、日本へやってくるのに、ある乗り物を使ったとされる。「天浮船(あめのうきふね)」——第2章で、太古の日本人が世界中を巡行するのに乗ったと酒井が信じた、あの空飛ぶ船である。
線がつながってくる。クロマンタの上空に、九十年前の画家が描いた円盤。世界の聖人たちを日本へ運んだとされる、天の浮き船。竹内文書という一つの物語の中では、空を飛ぶそれらは、もとは同じものだったことになる。
歴史学は、これらの古文書を後世の偽作とみなしている。墓も、村おこしのために育てられた伝説だという見方が強い。その上で、一つの事実が残る。クロマンタのある鹿角市と、キリストが眠るとされる新郷村は、地図の上で隣り合っている。
晩年の酒井は、日本中のピラミッドを線で結ぶと、大地のエネルギーをつなぐ巨大なラインが浮かび上がる、と主張していた。八十年あまりのち、ロシアの論文は、並んだピラミッドが共鳴して力を強め合うことを、計算で示した。
クロマンタは、一つきりで立つ山ではない。東北の山あいに連なる、いくつかの三角錐の、その一つだ。
第5章 いま、頂上で方位磁針が狂う
ここまでは、絵の話、牧師の話、学者の話、物理の話だった。すべて、誰かから聞いた話、どこかに記録された話だ。
この章は違う。あなたが、自分の足で頂上に立ち、自分の手で確かめられる現象の話だ。
登山口の鳥居をくぐり、杉に覆われた斜面を二十分ほど登ると、頂上に本宮神社がある。その社殿の前で、方位磁針を手のひらに載せる。針が定まらない。北を指すべき針が、行き場を失ったように揺れて、どこも指さなくなる。手を上げ、地面から離せば、針はまた素直に北を向く。社殿の前の、畳数枚ぶんの場所。そこだけ、地球の磁石が乱れている。ゼロ磁場と呼ばれる現象だ。
ゼロ磁場とは何か。簡単に説明しておく。地球そのものが、巨大な一個の磁石だ。北がS極、南がN極。だから方位磁針は北を指す。ところが、ある特殊な場所では、N極の力とS極の力がちょうど押し合い、打ち消し合ってしまう。磁力が消えるわけではない。磁力の「向き」が失われる。どちらが北とも言えなくなる。だから針は、指す先を見失って、揺れる。これがゼロ磁場だ。
この現象が起きる場所は、昔から「気の溜まる場所」とされてきた。打ち消し合った力が、その一点に渦を巻いて滞留する——そう信じられ、そこにいるだけで体の調子が整う、気力が湧く、と語られる。科学が証明したわけではない。だが、全国にいくつかある「ゼロ磁場のパワースポット」には、その力にあやかろうと、いまも多くの人が足を運んでいる。
その筆頭が、長野の分杭峠(ぶんぐいとうげ)だ。ここで一つ、見逃せない事実がある。分杭峠は、ただの峠ではない。日本列島を縦に断ち割る、日本最大の断層「中央構造線」の、ちょうど真上にあるのだ。地球の傷口の上で、磁針が狂う。気が滞ると言われる。この「断層とゼロ磁場の重なり」を、頭の隅に置いておいてほしい。
クロマンタの頂上でも、分杭峠と同じことが起きる。本宮神社のあたりだけ、撮った写真に白い光が滲み、視界がぼうっと霞む。少し離れれば空気はくっきり澄んでいるのに、社殿の前だけ、まぶしい。そういう体験談が、いくつも残されている。
そして、この山には、もう一つの現象がある。発光だ。
クロマンタの発光は、最近のものではない。江戸時代から、この山ではたびたび「光るもの」が見られてきた、という記録がある。ピラミッドがエネルギーを放っているのだと語る者がいる。相次ぐUFOの目撃だと語る者がいる。
科学の側からの説明もある。信州大学繊維学部の特任教授・榎本祐嗣(えのもと ゆうじ)氏らは、長野で一九六五年から続いた松代群発地震の発光現象について、その原因を突き止めたと発表している。地震で岩石が破壊されると、そこに電気が生じ、それが山の樹林に蓄えられて、「誘電体バリア放電」という音のない放電が起きる。それが、光って見えるのだ、と。
ここで、さきほどの「断層とゼロ磁場の重なり」が効いてくる。ゼロ磁場とは、磁力の向きが乱れるほど、地下で何かが起きている場所だ。分杭峠がそうだったように、その下には、しばしば断層が走っている。断層が動けば、岩が割れ、電気が生まれ、放電し、光る。つまり、クロマンタの「磁針が狂う」ことと「山が光る」ことは、ばらばらの怪奇現象ではなく、同じ一つの根——地下で動く岩盤——から出た、表と裏なのかもしれない。「ピラミッドがエネルギーを放っている」というロマンと、「地殻のひずみが放電している」という科学は、案外、同じ現象を別の言葉で呼んでいるだけなのだ。
それでも、地元の目撃談には、放電だけでは片づけにくい生々しさがある。そもそもクロマンタは、オカルトに詳しい者のあいだでは、古くから「UFOと発光現象が多発する山」として名が通っている。話の種は尽きない。クロマンタから車で六分ほどのところに、「湯の駅おおゆ」という道の駅がある。ここでUFOを見た、という報告がいくつもある。すぐそばのストーンサークルから、クロマンタの方角にカメラを向けて撮ったら、写真に妙なものが写り込んでいた、という報告もある。
ある旅人が、ふもとで写真を撮っていると、地元の年配の男性が現れた。UFOを見たことはあるか、と尋ねると、男性はこともなげに答えたという。クロマンタの上に、ずっと浮かんでたぞ、と。何かを見たという話が、九十年前の画家の絵から、今日のスマートフォンの写真まで、途切れずに続いている。
語り草になっている出来事がある。クロマンタの周辺で「UFOを呼ぶ」催しが開かれたとき、その会場では、参加者のほとんどが、何らかの飛行物体を目にしたと伝えられる。確かめる手立ては、ない。
確かめさせまいとするかのような話も、ある。証拠のある事実ではない。地元と愛好家のあいだで囁かれてきた「噂」だ。そう断った上で、書く。
一九九二年のあの学術調査のあと、関わった人々に、不幸が続いたという。ある語りによれば、発掘に携わった調査隊のうち、三人が亡くなり、八人が事故や発病に見舞われた。そして調査の途中で隊員が不慮の事態に陥り、調査そのものが中止された、とも伝えられる。地下十メートルの石棺に、本格的なメスが入れられることは、今日まで、なかった。
噂を裏づける記録は、ない。一つだけ、付け加えておく事実がある。この調査団に加わった一人に、鈴木旭という歴史作家がいた。調査でペトログリフ——刻文石製品の研究に関わった人物だ。彼は後年、調査の体験をもとに一冊の本を書いている。その目次に並ぶ章のタイトルが、「無神論と傲慢」「祟りと呪い」「神仏と戒め」。オカルトを科学で見極めるはずだった調査の記録に、こういう言葉が並んでいる。
エジプトのツタンカーメン王墓を暴いた者たちを次々に襲ったとされる「ファラオの呪い」。墓を開けた資金提供者が原因不明の熱病で死に、関係者の不審死が相次いだ、という伝説がある。それと似た構図が、この東北の三角錐をめぐっても語られている。
地元の人は、こう言う。あの山には、軽い気持ちで手を出してはいけない、と。
第6章 神を送る山は、まだ稼働している
最後に、もう一度、頂上に立ってみよう。
この山は、外から来た人間に「ピラミッドか」「宇宙人の基地か」「呪われているのか」と、さんざん騒がれてきた。レーダーで透かされ、磁針を当てられ、本に書かれた。当の頂上に立つと、そこにあるのは、静かな祈りの場だ。
頂上の本宮神社。その由来をたどると、本宮徳治郎という、一人の医者にたどりつく。彼はこの山に、病を癒す仏・薬師如来を祀った。神社でありながら、本尊は仏様なのだ。ふもとには漢方の薬草が自生し、山頂の祠には目の病を治す神が祀られ、すぐそばの水槽は、その目を洗う水を溜めるものだったという。地元では、クロマンタは雷があまり鳴らず、湧く水は甘い、とも言い伝えられてきた。
外から来る者が「UFOか、呪いか」と騒ぐその同じ場所で、地元の人々は何千年ものあいだ、ただ三角錐を見上げ、命と健康を祈ってきた。年に二度、集落の代表が山に登り、神前で酒を酌み交わす。そういう祈りの山でもある。
最初の問いに戻る。クロマンタのUFOは、本物なのか。ピラミッドは、本物なのか。
この山の名を、もう一度思い出してほしい。クロマンタの語源には諸説あり、その一つに、「クル・オ・マン・テ・イ」——神を送るところ、という説がある。
送る、という一語がある。
ここで、二キロ先のストーンサークルが、もう一度効いてくる。大湯環状列石には「日時計状組石」と呼ばれる石組みがあり、二つの石の輪の中心とこの組石を結んだ線は、夏至の日没の方向とぴたり重なる。四千年前の縄文人は、この土地で、確かに太陽の運行を見つめ、その向きに合わせて石を据えていた。太陽を、天を、意識していた人々がいた。
その同じ人々が、二キロ離れた三角錐の頂で、何かを天へ送り出していたとしたら。死者の魂を。祈りを。彼らが「神」と呼んだ、太陽の向こうの何かを。第3章の、天に向かって一点にすぼまる形。第4章の、その頂点に力を集めるという構造。第5章の、いまも狂う磁針と、空に滲む光。送り出すための場所であれば、それを呼び戻すための場所でもあったことになる。頂上の地下十メートルに据えられた石の棺は、その往復の扉だったのかもしれない。
クロマンタを調べ尽くした、あの調査団の一人は、長い発掘の果てに、一つの結論にたどりついている。この山は、ただの古い遺跡ではない。いまも生きている神殿なのだ、と。
昭和十七年、鳥谷幡山が空に描いたものが、縄文人がこの山から天へ送り、呼び戻していた「何か」だったとしたら。その一瞬を、あの画家は絵に留めたことになる。
四千年前に造られ、九十年前に絵に写し取られ、いまも頂上で磁針を狂わせ、空に光を放つ。クロマンタは、過去形では語りきれない。
あの頂に立ち、手のひらの方位磁針が揺れはじめたとき。あなたが触れているのは、ただの磁場の異常ではないのかもしれない。
その扉が次に開くのは、いつ、誰の頭上でだろうか。
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※本記事には、酒井勝軍の日本ピラミッド説、竹内文書(キリストの墓・モーゼの墓・天浮船)、黒又山総合調査団による調査、ゼロ磁場・発光現象・UFO目撃譚、調査にまつわる「呪い」の噂など、伝承・俗説・在野研究に基づく記述が含まれます。これらは学術的に確定した事実ではなく、「〜と伝わる」「〜とされる」ものとしてお読みください。一方で、大湯環状列石(特別史跡・世界遺産)や黒又山の地中レーダー調査結果、ギザの大ピラミッドの電磁波に関するITMO大学の研究などは、公的資料・学術発表に基づく事実です。
クロマンタへ。
泊まって、浸かって、食べて帰る。
KUROMANTA TRAVEL GUIDE — OYU ONSEN
謎の三角錐クロマンタと世界遺産・大湯環状列石。その足元に広がるのが、開湯八百年の大湯温泉郷だ。きりたんぽ発祥の地のソウルフード、源泉かけ流しの共同浴場、縄文の土器づくり体験。聖地巡礼を「一泊二日の満足」に変えるための、旅の実用ガイド。
まず、ここへどう辿り着くか
クロマンタ(黒又山)と大湯環状列石があるのは、秋田県鹿角市の十和田大湯。最寄りは東北自動車道の十和田インターで、そこから車で十五分ほど。十和田湖の南玄関口にあたり、湖までは車で三十〜四十分の距離だ。
公共交通だけで巡るのは、正直やさしくない。JR花輪線の鹿角花輪駅、または十和田南駅からバスやタクシーを乗り継ぐことになり、本数も限られる。クロマンタ登山口(本宮神社鳥居口)には広い駐車場がなく、大湯環状列石やストーンサークル館の駐車場を起点に歩くのが現実的だ。レンタカー、もしくは行き帰りの足ごと組まれたプランを使うと、迷いが一気に減る。
行き方に迷ったら ── 足ごと組まれた旅で
クロマンタ周辺は公共交通が手薄なエリア。新幹線・宿・現地の移動をまとめて手配できるパッケージなら、運転や乗り継ぎの不安なく聖地へ入れる。十和田湖・八幡平とあわせた周遊の拠点としても便利だ。
縄文に、手で触れて帰る
クロマンタを見上げたあとは、二キロ先の大湯環状列石へ。直径五十メートルを超える石の輪が二つ並ぶ、日本最大級のストーンサークルで、二〇二一年に世界遺産へ登録された。隣接する大湯ストーンサークル館は入館無料で、出土した土器や、CGで縄文の景観を再現した映像展示が見られる。
ただ見るだけでは、もったいない。館内の体験工房では、土版(どばん)づくり、勾玉づくり、組石マグネットづくりといった、縄文の手仕事を体験できる。所要は三十〜六十分ほど。子ども連れでも、大人の自由研究気分でも楽しめる、この土地ならではの一手だ。
縄文の手仕事を予約する ── 土器づくり・勾玉づくり
大湯ストーンサークル館の体験工房や、鹿角エリアの体験プログラムを、前売りで確保しておくと当日がスムーズ。空き状況や開催日を事前に確認できる。
※体験の開催日・内容は季節で変わります。訪問前に各施設・予約ページで最新をご確認ください。
この土地で、食べて帰るべきもの
鹿角は、秋田名物きりたんぽ発祥の地。炊いたうるち米を秋田杉の串に巻いて焼き、比内地鶏のだしで煮るきりたんぽ鍋は、まずはずせない一杯だ。みそをつけて焼いた「みそつけたんぽ」も、地元で親しまれる素朴な味。
そしてもう一つの主役が、市民のソウルフード鹿角ホルモン。味噌ベースの甘辛ダレに漬けた豚と牛のホルモンを、中央が盛り上がったジンギスカン鍋で焼き、まわりに豆腐とキャベツを敷いて煮る。締めにうどんを入れて、溶け出した旨みを吸わせるのが流儀だ。さらに、希少なかづの短角牛や八幡平ポークも、この土地で味わいたいブランド肉。
| 店・場所 | 狙い目 | 予約 |
|---|---|---|
| ホルモン幸楽 花輪本店名物 鹿角花輪/鹿角ホルモン発祥の老舗 |
鹿角ホルモン。味噌ダレのジンギスカン鍋、締めうどん | 食材切れで断られる例あり。事前確認推奨 |
| 大湯えんがわカフェ名所 道の駅おおゆ内/隈研吾設計・足湯併設 |
かづの牛バーガー、牛だしラーメン、ミルクソフト。足湯に浸かりながら一服 | |
| きりたんぽ館発祥 道の駅かづの あんとらあ内/きりたんぽ専門 |
きりたんぽ鍋、目の前で焼くみそ付けたんぽ。発祥の地で本場の味 |
※営業時間・定休日・料金は変動します。訪問前に各店の公式・食べログで要確認。電話番号は裏取りできたもの以外は記載していません。
開湯八百年の湯に、身を沈める
クロマンタの足元に湧くのが、開湯八百年と伝わる大湯温泉郷。江戸時代には南部藩の保養温泉地に指定された、由緒ある湯どころだ。大湯川沿いに宿が点在し、十和田湖観光の拠点にもなる。
泊まりは、好みで二択。懐石ときりたんぽ鍋をゆっくり味わう宿か、源泉かけ流しを気軽に楽しむ手頃な宿か。下の二枚から選んでほしい。
泊まらず、湯だけ浴びて帰る
クロマンタを見上げ、縄文に触れた、その足で湯に沈む。大湯温泉は、泊まらなくても名湯を味わえる土地だ。気軽な保養センターから、地元に愛される源泉かけ流しの共同浴場、無料の足湯まで、好みと時間で選べる。下にまとめた。
| 湯 | 料金・時間 | ひとこと |
|---|---|---|
| 湯都里(ゆとり)おすすめ 大湯温泉保養センター/駐車場200台 |
大人450円 9:00〜20:00 火曜は13:00〜/年末年始休 |
2つの大浴場とサウナ、カフェラウンジ。広い駐車場で車旅の拠点に最適。湯上がりに休憩室で一服も |
| 大湯共同浴場 四軒地元の湯 荒瀬・上の湯・下の湯・川原の湯 |
大人およそ200円 入口の券売機で入浴券 |
全て源泉かけ流し。地元の人が毎日通う素朴な湯。源泉が熱いので、加水は一声かけてから |
| ホテル鹿角 日帰り入浴 道の駅おおゆの真向かい |
中学生以上800円 受付 12:30〜19:00目安/タオル貸出有 |
露天付きの広い大浴場をタオル付きで。繁忙期(GW・盆・年末年始)は料金が変わる |
| 道の駅おおゆ 足湯無料 隈研吾設計・温泉じゃぶじゃぶ池も |
無料 | 服のまま気軽に。足湯カフェでかづの短角牛やソフトと合わせて、休憩がてら温まれる |
※共同浴場・足湯は予約不要・現地払いのため予約リンクはありません。料金・営業時間・受付時間・定休日は変動します。訪問前に各施設の公式・電話でご確認ください(湯都里・ホテル鹿角の受付時間は曜日で変わります)。源泉かけ流しの作法として、湯を加水したら蛇口は元に戻すのがこの土地のマナーです。
一泊二日の、なぞり方
- 1日目 昼/鹿角ホルモンで腹ごしらえ十和田ICで降り、まずはホルモン幸楽へ。ジンギスカン鍋の締めうどんまで。
- 1日目 午後/大湯環状列石と縄文体験世界遺産のストーンサークルを歩き、ストーンサークル館で土器・勾玉づくり。
- 1日目 夕/クロマンタを見上げる二キロ先の三角錐へ。蕎麦畑越しに眺める三角錐は、夕暮れがいい。
- 1日目 夜/大湯温泉に泊まる懐石の宿か、手頃な湯宿か。源泉かけ流しで一日を流す。
- 2日目 朝/共同浴場と道の駅おおゆ朝湯に共同浴場を一軒。足湯カフェでかづの短角牛と一服し、土産を調達して帰路へ。
土産は、この土地のものを。きりたんぽ、みそつけたんぽ、比内地鶏のスープ、鹿角ホルモン(地方発送やテイクアウトに対応する店もある)。道の駅おおゆやストーンサークル館のショップで、縄文モチーフの品や地酒もあわせて探したい。
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※大湯温泉の共同浴場は予約不要・現地払いのため、本記事に予約リンクは設けていません。クロマンタ(黒又山)の謎・ピラミッド説・UFO・ゼロ磁場などの読み物は、別記事「クロマンタ。神を送る三角錐。」をご覧ください。
黒又山、ピラミッドば見に
来た気分のままやと、
停める場所がなかばい。
PHASE 01行く前に、これだけは
黒又山はとにかく「車ありき」の場所。最寄りの十和田南駅まで来ても、そこから黒又山へ向かう路線バスが無く、タクシー頼みになる。車なしで来ると、まず移動で詰む。
それと、多くの人がセットで考える大湯環状列石(ストーンサークル)とは約2km離れとって、歩いてハシゴはできん。両方回るなら車で動く前提で組むとよか。
冬(11〜3月)は積雪・凍結で、登山口へ続く農道に入ること自体が難しくなる。ストーンサークル館も冬は16時で閉まって月曜休み。雪のある時期は無理せんことね。

PHASE 02着いてからの「停める」問題
ここがいちばんの落とし穴。登山口(本宮神社の鳥居)に正式な駐車場は無か。鳥居の横に車1〜2台ぶんのスペースがあったという声はあるばってん、確実やなか。まわりの道は農道やけん、路駐すると農作業の邪魔になってしまうとよ。
いちばん安心なのは、先に大湯ストーンサークル館の無料駐車場(約50台)に車を停めて、そこから黒又山へ車で向かう流れ。列石も一緒に見られて一石二鳥ばい。

PHASE 03登る前に、クマと虫の備え
山頂までは10〜15分の低い山。ばってん油断は禁物。麓でクマが目撃されたという注意書きが出ることもあって、登山中に中腹で獣のにおいがした、という体験談もある。クマ鈴や、スマホで音を鳴らしながら登る人が多かとよ。
夏はスズメバチや蚊も多い。長袖・虫除けがあると快適。短い山やからと薄着で来ると、虫にやられて山頂どころやなくなるけんね。

PHASE 04山の中と、山頂で
山頂にあるのは今も大事にされとる本宮神社。パワースポット気分で来ても、ここは現役のお社。お賽銭をあげて、静かに手を合わせる——それだけで十分とよ。
写真目当ての人に先に言うとくね。山頂は木が茂って眺望がほとんど無か。「絶景が撮れる」と思って来ると肩透かしばい。ここは“景色”やのうて“空気”を味わう山。撮るより、感じる方が向いとーとよ。
それと、登山口のまわりに店もコンビニも無か。飲み物や軽食は、来る途中の道の駅おおゆあたりで先に買うとくと安心ばい。

PHASE 05セットで回るなら
黒又山だけやと正味30分ちょっと。せっかくやけん、車で2kmの大湯環状列石とセットで半日コースにするとちょうどよか。遺跡の見学そのものは無料ばい。
ひとつ注意。遺跡は無料やけど、出土品を展示する大湯ストーンサークル館は入館320円(大人)。「全部タダ」と思っとくと、ここで「あれ?」ってなるけん、頭に入れとってね。館は夏は18時・冬は16時で閉まるけん、閉館時刻も先に確認を。
※この記事について
掲載した時間・料金・駐車場の状況・道の可否などは、執筆時点で各公式情報をもとに確認したものばい。ばってん、こういう情報は工事・天候・行事・季節でしれっと変わってしまうけん、ここに書いとることはあくまで“道しるべ”として読んでね。実際に動く前に、必ず自分で公式(公式サイト・電話)で最新を確かめてから出発するとよ。うちの案内はそのための下調べ、最後の答え合わせはあなたの手でね。特に登山口の駐車スペースとクマの出没情報は変わりやすかけん、現地の最新を要チェックばい。
〔確認先〕鹿角市公式サイト(大湯環状列石ページ)/大湯ストーンサークル館 TEL 0186-37-3822/鹿角市観光「旅するかづの」


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