10年赤字のホテルを、
愛だけで黒字にした男。
LOVING YOURSELF
野村證券。ウォール街。ニューヨーク大学MBA。数字の頂点を歩いた男が、沖縄の海辺で正反対の結論にたどり着いた。経済を動かすのは、効率ではない。愛だ。――そしてそれを、彼は説教ではなく、決算書の数字で証明してみせた。
時給680円のおばちゃんが、客と30分しゃべっていた。
仕事をサボっているように見える。経営者なら止めるところだ。だが、そのおしゃべりが客を感動させ、リピーターを生み、ホテルに利益をもたらした。人件費は、たった340円。
この一場面が、本書の全部を物語っている。著者・樋口耕太郎は、野村證券のトップエリートだった。数字と効率の世界の住人が、ある日それを全部ひっくり返して、こう言い切る。資本主義は、労働者のためにできていない。株主のためにできている。だから、みんな不幸になる。
では、どうするか。本書の答えは、たった一つの問いに凝縮されている。「いま、愛なら何をするだろうか?」――この問いが、お金にとらわれた世界から、私たちを救い出す。
まず、この男が何者かを知ってほしい。言葉の重みが、まるで変わるからだ。
樋口耕太郎。1965年、盛岡生まれ。筑波大学を出て、1989年に野村證券へ入る。1993年、米国野村證券。1997年、ニューヨーク大学で経営学修士。2001年には不動産トレーディング会社で金融事業を統括した。成果。効率。複利。彼はその世界の、紛れもない勝者だった。
転機は、沖縄だった。2004年、レーサムでホテル投資を手がけていた彼は、経営の傾いたリゾート、サンマリーナホテルを約30億円で取得する。本来なら、運営はホテル経営のプロに任せるところだ。ところが彼は、ひょんなことから自分で沖縄に乗り込み、250名のスタッフを抱えるホテルの経営者になってしまう。当時、39歳。ホテル経営は、まったくの素人だった。
着任した当初の彼は、絵に描いたような金融マンだった。攻めの経営。トップダウン。次々と改革を打ち出した。だが、現場との関係づくりが、まるでうまくいかない。数字は管理できても、人は動かない。サービスは形だけ。士気は上がらない。ウォール街で通用したやり方が、ここでは一切通じなかった。
行き詰まった彼が、ふと思い至る。社長が一番偉いというピラミッドは、逆ではないか。現場のサポートを課長がして、課長のサポートを部長がして、その全員のサポートを社長がする。社長とは、会社全体のいちばん下で支えるサポーターであるべきだ。この一点の気づきから、サンマリーナの再建は始まった。彼が金融マンなら絶対にやらないことを選んだのも、ここからだ。リストラでも、コスト削減でもない。「愛」を、経営理念に掲げたのだ。
笑う人がいるだろう。愛で会社が立て直せるか、と。だが結果が、笑いを黙らせた。詳しくは後の章で書く。先に言っておく。できた。それも、数字で。ちなみにこの本は、足かけ12年をかけて書かれている。途中まで書いては思い直し、全部書き直す。それを繰り返した末の440ページだ。だから言葉に、簡単に消費される軽さがない。
そして彼は、今も止まっていない。2006年に事業再生会社トリニティを設立。2012年からは沖縄大学の教壇に立ち、この島の貧困と格闘し続けてきた。2025年には、世界初のイカ養殖の事業化に挑むベンチャーの最高執行責任者に就いている。理論を語る人ではない。最後まで現場に立ち続ける、実践者だ。本書の一行一行が重いのは、そのためだ。
本書が最初に突きつける問いは、これだ。なぜ私たちは、こんなに頑張っているのに、満たされないのか。
答えは残酷だ。本書によれば、原因は私たち自身ではない。この経済の仕組みそのものにある。経済が成長し続けるには、人々が「足りない」と感じ続けなければならない。満足したら、人は物を買わなくなる。だから経済は、私たちの心に渇きを注ぎ続ける。永遠に。
たとえば、シャンプーのCM。腰まで届く艶やかな黒髪の女性が、振り返る。美しい映像だ。だが本書は、その裏に隠されたメッセージを読み解く。「あなたの髪は、ダサい」。
大半の広告は、商品の良さを伝えているのではない。あなたの人生がいかにつまらないかを、潜在意識に刷り込んでいる。みすぼらしい現実と、輝く理想。そのギャップは、買えば埋まる、と。欠乏感さえつくれれば、需要は無限に湧く。本書の一文が、すべてを言い当てる。
「経済が顧客のニーズを満たすのではない。経済成長のために、顧客のニーズがつくられるのだ」
需要をつくれば10倍売れる。人を依存させれば100倍儲かる。現代のアプリや金融商品が、私たちの不安と射幸心を執拗に煽るのは、設計だ。そして本書は、お金を欲しがる心の底まで覗き込む。人はお金が欲しいのではない。お金を使って、誰かに勝ちたいのだ。だからこの動機に縛られた人は、全員に勝ったと思えるまで、いくら稼いでも満たされない。
気のせいではない。証拠がある。
本書によれば、『ALWAYS三丁目の夕日』の時代から半世紀。日本人ひとり当たりの実質GDPは、8倍を超えた。豊かさが8倍だ。なのに、幸福度は横ばいのまま、ぴくりとも動いていない。同じ調査が世界中で行われ、結果はどこも似たようなものだった。物質的な豊かさは、ある線を超えると、もう幸せに変わらない。
本書が引く、ある精神科医の調査が忘れがたい。デビッド・クルーガーが、数百人にこう尋ねた。「お金の心配をせず、幸せに暮らすには、年収はいくら必要ですか?」。10人のうち9人が、いまの年収の約2倍、と答えた。
面白いのはここからだ。その人たちの年収が、実際に2倍になった。同じ質問をもう一度した。すると彼らは――また、その2倍が必要だと答えた。500万円の人は1000万円を望み、1000万円になると2000万円を欲しがる。ゴールは、走った分だけ遠ざかる。これが欠乏感という燃料で走る経済の、正体だ。
本書は資本主義を全否定はしない。お金も成長も、それ自体は道具だ。問題は、道具を「目的」にしてしまうこと。手段と目的を取り違えた瞬間、人は幸せから遠ざかり始める。
ここで、金融の心臓部にいた男にしか書けない一撃が出る。
本書によれば、ほとんど誰も気づいていないが――株式上場は、あらゆる資金調達の中で、最もコストが高い。純資産10億円の上場企業が年7%成長を求められると、30年で株主に渡すべき利益は、合計70億円にふくらむ。10億円を集めた代償が、70億円。これは事実上、利息のついた巨大な借金だ。そして複利で増え続け、数学的に、いつか必ず破綻する。
本書は、利子を「ボトルの中のウイルス」と呼ぶ。利子が利子を生み、有限の世界で無限に増殖する。資本主義とは、有限の地球に「ネズミ講+複利」を持ち込んだシステムだ。誰かが必ず返せなくなる。株式とは、突き詰めれば「企業から利益を抜き取る権利」であり、その権利が、会社が本来持っていた創造性を食い破る穴になる。
そしてここに、本書の背骨が現れる。この仕組みは、働く人のためにできていない。株主のためにできている。地方の会社が株で資金を集めれば、現場で汗をかいて生んだ価値が、配当となって地域の外へ――県外へ、国外へ――永遠に吸い上げられていく。働けば働くほど、価値は遠くの株主のもとへ流れ出す。だから、現場はいつまでも豊かにならない。だから、みんな不幸になる。
では、愛で経済は回るのか。口先ではない証拠を、樋口は自分の手で残している。
2004年に彼が引き受けたサンマリーナホテルは、10年以上、赤字に沈んでいた。彼が掲げたのは、リストラでもコスト削減でもなく、「経営理念を愛にする」という、誰が見ても無謀な一手だった。結果はどうだったか。本書によれば――わずか2年足らずで、1億3,000万〜1億4,000万円超の利益を生む高収益企業へと生まれ変わった。12年ぶりの黒字化だ。
何をしたのか。まず彼は、上司が部下を管理するピラミッドを、ひっくり返した。上司と部下を、逆転させたのだ。リーダーの仕事を「部下が客を愛するための、邪魔を取り除くこと」と定義し直した。そして、250名の従業員ひとりひとりの話を、ただ徹底的に聴いた。
ここで本書は、決定的な区別をする。「人に関心を示すこと」と、「人の関心に関心を示すこと」は、まったく別物だ。人への関心は、しょせん自分の関心事にすぎない。本書は言い切る。関心とは、無関心の一つの形なのだ、と。人は、自分の話を心から聴いてくれる人、自分が大事にしているものに関心を向けてくれる人に出会ったとき、はじめて「わかってもらえた」と感じる。
彼の聴き方は、具体的だった。たとえば、子育て中のある女性スタッフ。夕方の子どものお迎えが気がかりで、退勤の30分〜1時間前からそわそわして、仕事が手につかない。彼はこう提案した。「30分早く来て、30分早く帰ればいい」。気が気でない最後の時間が、まるごと消えた。別の例。地下で働く施設担当の男性。携帯の電波が入らず、子どものお迎えを妻とやりとりするのに、いちいち地上に出るのが同僚に気が引ける。彼は、地下に専用の電話を引いた。派手な改革ではない。一人ひとりの「関心事」に、ただ向き合った。それだけだ。
本書の一節が、胸を打つ。経営者は、部下が熱心に働かないと嘆き、理念を唱和させ、報奨金をぶら下げ、罰則を厳しくする。だが経営者は、部下の人生に明かりを灯す力を、はじめから持っている。必要なのは、その人の人生に誠実な関心を向けること、ただそれだけだ、と。
すると、それまで固く閉ざされていた従業員の心が、一枚、また一枚と開いていった。誰に命じられたわけでもないもてなしが、内側から溢れ出した。彼自身も、肩書きを脱いだ。経営者でありながら、厨房に一日「丁稚」として立った。社長が皿を洗い、汗をかく。厨房は、大いに沸いた。上に立つ者が、いちばん下で働く。逆転は、思想ではなく、彼の体そのもので示された。
そして彼は、会社の理念を定める。それが、本書全体を貫くあの問いだ。「いま、愛なら何をするだろうか?」。この理念には、大切な注釈がついていた。――あなたが愛する相手に、自分自身も含めること。
同時に、人事考課を根こそぎ作り変えた。新しい考課は、業績と一切関係がない。たった二つの基準だけで測られた。一つ、どれだけ人の役に立ったか――他者への愛の尺度。もう一つ、どれだけ人間的に成長したか――自分を愛する尺度。本書いわく、すでに成果を出した人を評価するのは、ただの「観察」にすぎない。まだ表に出ていない力に、いま報酬を払うこと――それこそが「投資」だ。極めつけは、その発想の起点だった。「給与を上げるには何が必要か」から、経営のすべてを逆算した。人件費を削って株主に回す普通の経営とは、向きが正反対だった。
愛が、どうやってお金に変わるのか。本書には、それを一発で見せる場面がある。冒頭で触れた、あのおばちゃんの話だ。
造園担当のおばちゃんが、客と30分、ゆんたく――沖縄の言葉で、おしゃべりに興じている。台本のない、ただの世間話。だが、その飾らない会話に、客が心を動かされる。おばちゃんは時間も気にせず、ただ会話を楽しんでいる。時給680円。30分なら、人件費はたった340円。その340円が、リピーターを呼び、人件費を何倍も上回る利益をホテルに落とした。
かつてマクドナルドのメニューに「スマイル0円」という洒落た一品があった。だが本書が目指したのは、その正反対だ。サービスとして笑うのではない。「笑え」と命じずに、笑顔が自然に溢れる場をつくる。笑いたくないときは、笑わなくていい。自分に嘘をつかない。そこからしか、本物の思いやりは生まれない。
ここで本書は、決定的な反転を語る。世の中のあらゆる企業の親切は、どれだけ美しい言葉で飾っても、結局は利益を生むための「手段」にすぎない。それを「目的」に変える。サンマリーナの価値観は、たった一つだった――思いやりを、手段ではなく目的にすること。
そして本書の問いは、ぐるりと裏返る。問うべきは「なぜ私は愛の経営に変えたのか」ではない。「なぜ世の中の大半の人は、愛を目的にしていないのか」だ。赤ん坊は誰もが、親に見返りなしの愛を差し出す存在として生まれてくる。私たちは一人残らず、愛を起点に人生を始めたはずなのだ。
ただ、この物語には影もある。愛の経営は、わずか1年で終わった。黒字化を成し遂げた直後、彼は会社を解任され、すべてを一旦失う。本書の第1面は、「黒字化」のあとに「社長解任」、そして「喪失」という章で閉じる。数字では完全に勝ったのに、彼自身は資本の論理によって現場を追われた。この痛みがあったからこそ、本書は経営論で終わらず、「自分を愛する旅」へと深く折り返していく。そして彼はその後、沖縄で「金融人材育成講座」を開く。本書は、そこで語られた12年分の中身が、一冊に結晶したものだ。
愛で経済が回るのは、偶然ではない。本書はそれを、経済の起源までさかのぼって証明する。
教科書はこう教える。経済は「物々交換」から始まった、と。樋口は、これを否定する。経済の原点は、贈与だ。誰かの役に立ちたいという純粋な思いから、価値を差し出す。その善意が、人から人へと巡っていく。それが、経済の本来の姿だった。
歴史にも実例がある。江戸の思想家・二宮金次郎の「推譲(すいじょう)」だ。自分の取り分の一部を、他人や未来のために、先に差し出す。その贈与が巡り巡って、社会全体を潤す。本書は二宮の言葉を引く。「道徳を忘れた経済は罪悪である。しかし、経済を忘れた道徳は寝言である」。愛と経済は、もともと切り離せないものだった。
日本語の「働く」にも、その記憶が残っているという。傍(はた)を、楽(らく)にする。それが「ハタラク」だ。愛の経済における労働は、自己犠牲ではない。自分の内から溢れる愛を、誰かの喜びのために形にする行為だ。そう捉え直した瞬間、仕事は苦役から、自分を表現し世界とつながる舞台へと変わる。
そして本書は、副題「こころの資本」の正体を明かす。それは四つの力――希望、自己効力感、逆境から立ち直る力、楽観。樋口の凄みは、これを「個人の性格」ではなく、「投資できる資産」として扱ったことにある。働く人のこころの資本が高まる。サービスの質が上がる。ブランドの価値が上がる。最後にキャッシュが増える。サンマリーナで起きた1億4,000万円の正体は、この「こころと経済の連鎖」だった。
ここで本書は、外側の経済から、内側へと折り返す。タイトルの核心――「自分を愛する」へ。
多くの人が、ここで誤解する。自分を愛するなんて、わがままで自己中心的なことではないか、と。本書は、はっきり否定する。利己主義と、自分を愛することは、正反対だ。利己主義とは、自分の中に愛が欠けているからこそ、それを埋めようと他人から評価や奪える物を奪う姿勢だ。逆に、自分を本当に愛している人は、内側に満たされた泉を持つから、自然に他人を愛し、与えられる。自分への愛が、他人への愛の源になる。
そして本書は、孤独の正体を言い当てる。孤独とは、物理的に一人でいることではない。孤独とは、自分自身と離れていることだ。一人が寂しいのは、一人だからではない。自分と一緒にいないからだ。だから、大勢に囲まれていても、自分を愛せない人は、孤独のままだ。
本書は哲学者ハンナ・アーレントを引く。一人でいること(ソリチュード)と、孤独に苦しむこと(ロンリネス)は、まったくの別物だ。前者は、自分と静かに向き合う豊かな時間。後者は、自分を見失い、自分から切り離された苦しみ。罪悪感、自己嫌悪、劣等感、無価値感――自分を愛せなくなるすべての状態が、孤独と同じものだという。本書は、優しく、しかし容赦なく告げる。自分を受け入れてくれる誰かを外に探す前に、まず自分が、自分を受け入れること。順番が、ずっと逆だったのだ。
株主のためのゲームから降り、自分を愛する旅を始めるには、内側の解放がいる。本書の最終面は、そのための実践だ。
私たちは崖っぷちで、一本のロープに必死でしがみついている。だが、足元には実は、しっかりした地面がある。手を離しても、落ちて死んだりはしない。むしろ手を離して初めて、自由に歩き出せる。握りしめているものを、指を一本ずつ、離していく。
離す順番は、こうだ。小指――「自分」だと思っているもの。肩書き、役割、過去の栄光と傷。薬指――「愛」だと思っているもの。支配欲、見返りを求める親切。中指――「正しさ」。私が正しくお前が間違っている、という裁きの心。人差し指――過去と未来。後悔も不安も、脳がつくった幻だ。いま、打席に立て。そして最後に――親指――「赦し」。
本書はここで、岡本太郎の言葉を引く(VIBES TOURISMでも特集した、あの芸術家だ)。「人生は積み重ねだと誰もが思っている。ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も、蓄えるほど人間は自在さを失う。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋に膨らんでくる」。指を離す思想と、見事に響き合う。
そして、赦し。本書で最も鋭い洞察が、ここにある。人が誰かを赦せないのは、無意識に「被害者でいたい」からだ。加害者を赦せば、もう被害者でいられない。だから人は、相手の悪行をポスト・イットに書きつけ、繰り返し眺めては、怒りを燃やし続ける。だが――赦しは、加害者のためではない。握りしめた恨みを手放すことは、その重さから自分を解き放つことだ。赦しとは、愛である自分を、取り戻すことなのだ。
440ページを貫く問いは、たった一つに尽きる。「いま、愛なら何をするだろうか?」
メールを一通書くとき。部下に指示を出すとき。家族と話すとき。その都度、この問いに立ち返る。すると行動は、「奪う」から「贈る」へと、自然に切り替わっていく。出版社の言葉を借りれば、この問いこそが、お金に縛られた世界から私たちを救い出す鍵だ。
一人がともした火は、伝わっていく。本書はミルグラムの「6次の隔たり」に触れつつ、さらに踏み込む。ある研究によれば、幸福は連鎖する。あなたが幸せなら、直接の友人(1次)は約15%、その友人(2次)は約10%、さらにその友人(3次)でさえ約6%、幸せになる確率が上がる。会ったこともない、名前も知らない誰かの幸福にまで、あなたの幸せは静かに届いている。
本書は、ここで一つの常識をひっくり返す。よく「シャンパンタワー」のたとえが使われる。まず一番上のグラス=自分が満たされ、溢れた分が下へ注がれる、と。だが本書が示すのはこうだ。自分が満ちてから誰かに分けるのではない。自分が幸せになっているその瞬間に、もう周りの幸せも増えている。本書は言い切る。「自分だけが幸せになることも、誰か一人だけを幸せにすることも、はじめから不可能なのだ」。一人が幸せに生きることには、社会的な価値がある。そして社会で最も大きな力とは、一人の力なのだ。
樋口は、沖縄の貧困と長く向き合ってきた。彼の結論は、痛烈だ。沖縄の貧困の正体は、「自尊心の欠如」だ。多額の補助金は、助けているように見えて、長い目で見れば人々から「自分の足で立つ自尊心」を奪い、依存を深めた。良かれと思った行為が、相手の力を奪う。そして沖縄は、日本そのものの縮図でもある。
440ページ。軽い本ではない。前半は資本主義の構造を、論理で、容赦なく解体していく。だが恐れることはない。著者は難しい理屈を、自分の体験と、映画や物語の力を借りて、すっと胸に届く形で語ってくれる。大事なのは、頭で理解することではない。心で感じることだ。読みながら、自分の人生にそっと重ねてみる。そのとき本書は、ただの読み物ではなく、自分自身を映す一枚の鏡になる。
金融のプロが、すべてを賭けてたどり着いた、たった一つの真実。愛と、経済。一見、何の関係もなさそうな二つを貫いて、本書が指し示すもの。それは、「自分を愛する」という、いちばんシンプルで、いちばん難しい旅だ。一日では終わらない。長い時間がかかる。だが、もしこのタイトルが、いま、なぜか気になっているのなら――その旅は、もう始まっている。
/ BOOK DATA
『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である ― こころの資本の経済学』
著:樋口耕太郎/ダイヤモンド社/2025年9月刊
A5並製・440ページ/定価2,420円(税込)/ISBN 978-4-478-11989-1


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