ホログラフィック・ユニバース マイケル・タルボット

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VIBES TOURISM / BOOKS

ただの水が、腫瘍を溶かした夜
——『投影された宇宙』

THE HOLOGRAPHIC UNIVERSE
書名:投影された宇宙――ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
著者:マイケル・タルボット(川瀬勝 訳)

アインシュタインの弟子と、脳科学の建築家。世界でいちばんオカルトから遠い二人が、互いを知らずに同じ結論へ辿り着いた。「世界は時空の外からの投影である」――。

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一九五七年、アメリカのある病院。

ベッドの男は、首と胸と腹にオレンジ大の腫瘍を抱え、もう長くないと誰もが知っていた。主治医は病室に入ると、恭しく告げる。例の新薬の、改良された新しいロットが届きました。効力は二倍です——。

医師は処置の儀式を一つずつ丁寧にこなし、注射器を男の腕に沈めた。

中身は、ただの水だった。

数日後、男の腫瘍は溶けていた。

この本は、その「ありえない数日間」がなぜ起きたのかを、宇宙の構造から説明しようとした本である。書いたのは、オカルト雑誌のライターではない。土台を作ったのは、アインシュタインの弟子と、脳科学の建築家。世界でいちばんオカルトから遠い場所にいた二人だ。

01
WHAT SURVIVED THE CUTTING
第1章切り刻まれても死ななかったもの

記憶には、住所があるはずだった。

二〇世紀半ば、脳外科医ワイルダー・ペンフィールドは手術台の上で奇妙な発見をしていた。てんかん患者の脳に電極で触れると、患者が突然、過去を語り出すのだ。子どもの頃の庭。母親の声。とうに忘れたはずの場面が、映画のように再生される。電極の位置を変えれば、別の記憶が流れ出す。結論は自然に見えた。記憶は脳の特定の場所に、一件ずつ保管されている。あとは住所録を作ればいい——脳科学はそう信じた。若き日のカール・プリブラムも、それを疑う理由を持たなかった。

ところが、住所録を作りに行った男が、帰ってこなかった。

本書によれば、プリブラムは一九四六年、フロリダ州オレンジパークの霊長類研究所で、神経心理学者カール・ラシュレーのもとに加わる。ラシュレーは三十年以上、記憶の保管場所だけを探し続けていた男だ。やり方は単純で、残酷なほど直接的だった。ネズミに迷路を覚えさせる。それから、脳を外科的に切除していく。記憶がどこかに保管されているなら、その場所を削った瞬間、迷路の解き方は消えるはずだ。

消えなかった。

どこを切っても、消えなかった。切除を重ね、足元がよろめくほど運動機能が損なわれても、ネズミはよたよたと、しかし正確に、出口への道順を覚えていた。記憶の住所を突き止めるはずだった三十年の実験が証明したのは、真逆のことだった。

記憶に、住所はない。

プリブラムはこの結果を目の前で見て、考え込む。一部を失っても、全体が残るもの。脳のどこを探しても「そこ」には無く、それでいて脳のすべてに「在る」もの。当時の科学に、そんな保存形式を説明できる言葉はまだ存在しなかった。彼はその言葉に出会うまで、十年以上この謎を抱えて歩くことになる。

あなたの初恋の記憶は、脳のどの番地にも無い。それなのに、消えない。

この奇妙さを説明できてしまう装置を、人類はこのあと発明する。

THE RAT THAT WOULD NOT FORGET
02
THE STRANGE NATURE OF A BROKEN PHOTO
第2章割れた写真の奇妙な性質

「あれ、ほら、あれ。……なんだっけ」

誰にでもある、あの数秒。名前は確かに頭の中に在るのに、取り出せない。そして何かの拍子に、ふっと出てくる。本書はこの全員が体で知っている現象に、奇妙に正確な説明を与える。思い出すとは、フィルムに当てる光の「角度」を探す作業なのだ、と。

その説明の元になった装置が、ホログラムである。

普通の写真を半分に破れば、写っているものも半分になる。ところがホログラムの記録フィルムは違う。レーザー光が作る縞模様(干渉縞)として像を記録するため、フィルムを半分に割っても、欠けた半分の像ではなく、全体の像がまるごと現れる。さらに割っても、同じだ。どんな小さな破片にも、全体が写っている。つまり「部分」という考え方が、この装置の中では成立しない。

ラシュレーのネズミと、まったく同じ性質である。プリブラムがこの装置の存在を知ったとき、十数年抱えてきた謎の錠前が外れた。脳が記憶をホログラムのように——特定の場所ではなく、全体に分散した干渉パターンとして——記録しているのだとしたら。どこを切除しても記憶が消えなかった理由は、説明がつく。

ここで本書は、背筋が冷たくなる小話をひとつ挟む。十七世紀の数学者ライプニッツは「宇宙は、それぞれが全体を映し込んだモナドから成る」と主張した。仏教の華厳思想——一粒の中に全宇宙が宿るという教え——を知っていたからではないか、と論じる研究者もいる。そして、そのライプニッツが人類にもたらした積分法こそが、三百年後、デニス・ガボーアにホログラムを発明させた数学だった。

一粒に全体が宿る、という東洋の直観が、数学を経由して、レーザーの光になって帰ってきたのである。

EVERY SHARD HOLDS THE WHOLE
03
THE MAN WHO KEPT SAYING THE KING IS NAKED
第3章「王様は裸だ」と言い続けた男

デヴィッド・ボームの経歴は、物理学者というより悲劇の主人公のそれに近い。

アインシュタインに将来を嘱望された俊英。だが一九五〇年代、赤狩りの嵐の中で、彼はかつての師オッペンハイマーに不利な証言をすることを拒否する。その代償としてプリンストンでの職を失い、二度とアメリカの大学で教壇に立つことはなかった。沈黙すれば守れた地位を、彼は捨てた。

その追放された男が、プラズマの研究中に妙なものを見る。プラズマ状態の電子たちは、一個一個の粒のはずなのに、まるで全体でひとつの生き物のように振る舞った。本書によれば、ボームはその動きを、秩序のない群衆ではなくバレエのようだ、と表現している。個々の電子に「自分」の境界はなく、全体の振り付けが先にあって、粒はその一部にすぎない。

ボームはここから、生涯を貫く結論へ進む。世界を別々の「もの」に切り分けて見るのは、人間の側の癖であって、宇宙の実態ではない。彼は水槽の魚のたとえを残している。一匹の魚を、正面と側面の二台のカメラで映し、別々のモニターで見れば、二匹の魚が不思議に連動しているように見えるだろう。だが連動して見えるのは、もともと一匹だからだ。一九八二年にアラン・アスペの実験が示した「遠く離れた粒子の瞬時の相関」も、ボームの目にはそう見えていた。粒子たちは通信しているのではない。最初から分かれていないのだ。

目に見える世界は、より深いレベル——彼の言う「内蔵秩序」——から投影された、開かれた表面にすぎない。脳の側からプリブラムが、宇宙の側からボームが、互いを知らずに同じ一点に降り立った。世界は、ホログラムである。

晩年のボームの言葉が、この男の生き方ごと要約している。長い目で見れば、錯覚にしがみつくほうが、事実に直面するよりはるかに危険なのだ、と。

ELECTRONS DANCED LIKE BALLET
04
THE MAN WHOSE TUMORS MELTED WITH WATER
第4章ただの水で腫瘍が消えた男

冒頭の病室に戻る。

この症例は、心理学者ブルーノ・クロップファーが一九五七年に学術誌で報告したものだ。患者は「ライト氏」と呼ばれる末期のリンパ肉腫の男性。主治医フィリップ・ウェストはすでに治療を諦めていた。だがライト氏は、院内で治験中の新薬クレビオゼンの噂を聞きつけ、自分にも打ってくれと食い下がる。

根負けした医師が注射を打った三日後、寝たきりだった男は病棟を歩き回り、看護師に冗談を飛ばしていた。腫瘍は、主治医の記録によれば「熱いストーブの上の雪玉」のように溶けたという。十日後、退院。同じ薬を打たれた他の患者は、誰一人良くなっていなかった。

二ヶ月後、新聞が「クレビオゼンに効果なし」と報じる。理屈っぽい性格だったライト氏はそれを読み、再発し、再入院した。ここで主治医は、医学史に残る嘘をつく。「報道は初期ロットの劣化品の話です。改良された二倍の効力の新型が届きました」——そして、ただの水を注射した。結果は一度目を上回った。男はふたたび症状なしで退院する。

そして二ヶ月後。アメリカ医師会が「クレビオゼンは無価値」と最終発表する。ライト氏はその報道から数日で死んだ。

水が効いたのではない。信念が効いたのだ。そして活字が、それを殺した。本書がこの症例を冒頭近くに据えるのは、見世物としてではない。脳が現実を「投影」しているのなら、信念とは映写機の設定変更であり、肉体という映像は書き換わりうる——その最も劇的で、最も残酷な実演だからである。

BELIEF HEALED, PRINT KILLED
05
MY OTHER SELF DOES NOT HAVE DIABETES
第5章もうひとりの私は、糖尿病ではない

ライト氏の症例が一回きりの花火なら、まだ偶然と言える。だが本書は、もっと不気味に再現性のある現象を続けて出す。多重人格である。

本書によれば、多重人格の患者では、人格が切り替わった瞬間に、身体の医学的な状態まで切り替わる症例が報告されている。ある人格のときには糖尿病の徴候があり、別の人格に替わると消える。ある人格は特定の物質にアレルギー反応を起こすのに、別の人格は同じ物質に何の反応も示さない。視力の度数や色覚さえ、人格とともに入れ替わるという報告まである。

同じ一つの肉体である。同じ膵臓、同じ免疫系、同じ眼球だ。設計図が固体として固定されているなら、起きてはならないことが起きている。

ホログラフィック・モデルの読み方では、こうなる。肉体は彫像ではなく、上映中の映像である。投影の元データ——どの人格が「いま映写機の前に座っているか」——が替われば、スクリーンに映る像が替わるのは、むしろ当然だ。本書は医師ラリー・ドッシーの視点も借りて畳みかける。病気を自分と切り離された「敵」として見るのをやめ、生活と関係の全体の中の一状態として見たとき、人はしばしば快方に向かう、と。

あなたの身体は、思っているほど「決まって」いない。

ILLNESS SWITCHES WITH THE SELF
06
THE SAINTS WHO STOOD IN TWO PLACES
第6章二カ所に同時にいた聖者たち

ここから本書は、アクセルを踏み込む。

聖者の伝記に繰り返し現れる「二所同在」——同じ時刻に二つの場所で目撃される現象。プリンストン大学でジャーンとダンが行った念力実験では、被験者が機械の乱数発生に意思だけでわずかな偏りを与えたとされる。二人は、意識もまた波と粒の二面性を持ち、波である側面は離れた場所に作用しうると考えた。心理学者キース・フロイドに至ってはこう踏み込む。脳が意識を生み出しているのではなく、意識のほうが、脳に見えるものを——物質も、空間も、時間も——創り出しているのかもしれない、と。

——さて。ここで一度、立ち止まってほしい。

いまあなたが感じている「なるほど」は、検証に耐えるだろうか。本書に並ぶ症例の多くは、対照実験ではなく逸話である。逸話は何百集まっても、一つの実証にはならない。プリンストンの実験は効果量の小ささと再現性をめぐって厳しい批判を受け続けた。ホログラフィック脳理論もボームの解釈も、現在の主流の神経科学・物理学が採用するモデルではない。本書に対しては「科学の雰囲気をまとって人を信じさせる手口の見本だ」という辛辣な評が、刊行から三十年たった今も書き込まれ続けている。

本書を読む正しい姿勢は、信者の姿勢ではない。「これが事実なら、世界の何が変わるか」を考える思考実験者の姿勢である。タルボット自身、本書を証明の書ではなく招待状として書いた。副題にそうあるとおりだ。

招待状なら、受け取ってから疑えばいい。次の三章は、その招待の最も遠い部屋へ進む。

ONE MONK, TWO PLACES
/ 検証の目線

ここまでの症例の多くは対照実験ではなく逸話だ。逸話は何百集まっても実証一件にはならない。プリンストンの念力実験は効果量と再現性をめぐり批判が続き、ホログラフィック脳理論は現在の主流科学が採用するモデルではない。本書は証明の書ではなく「招待状」として読むのが正しい。

07
A SINGLE FILM SCREENED BEFORE DEATH
第7章死の手前で上映される一本の映画

心停止から生還した人々が、口を揃えて語る体験がある。人生のすべての場面が、一瞬で、しかも全部同時に再生された——いわゆるライフレビューだ。順番に流れる走馬灯ではない。全場面が一度に「在る」。時間を直線としてしか扱えない脳の通常モードでは、原理的に不可能な再生方式である。

研究者ケネス・リングは一九八〇年、この臨死体験をホログラフィック・モデルで説明できると提案した。時間の外にある全体から見れば、人生の全場面が同時に存在することに矛盾はない。ライフレビューとは、フィルムを一コマずつ送る装置が止まり、フィルム全体を一度に見てしまった状態だ、と。

本書によれば、生還者たちが持ち帰る教訓は、奇妙なほど一致して二つしかない。愛と、知識。ある六二歳の経営者は心停止からの生還後、こう語っている。森や花や鳥を見て、あれは自分だ、自分の一部だと言える——他者を傷つけて自分が無傷でいられると考えるのは、悲しい間違いだった、と。

ボームがプラズマの中に見た「最初から分かれていない」世界を、この経営者は理論抜きで、死の手前で見てきたことになる。

ALL SCENES, AT ONCE
08
THE AFTERLIFE IS HUNDREDS OF TIMES LARGER
第8章死後の世界は、物質宇宙より何百倍も大きい

奇妙なのは、ここからだ。ボームとプリブラムが二十世紀後半に数式と実験から組み上げた風景を、何百年も前に、装置なしで「見てきた」と報告した者たちがいる。

一九三六年にインドのプーリーで没した聖者シュリ・ユクテシュワル。本書によれば、この世界と向こう側を行き来する才に長けたこの人物は、死後の領域を「光と色のかすかな振動」でできており、物質宇宙より何百倍も大きい、と描写した。シュリ・オーロビンドの言葉に至っては、本書の評では、ボームやプリブラムの結論とほとんど区別がつかない。すべてが別々に存在するというのは錯覚であり、万物は究極的にはひとつの全体である——。

十一世紀チベットの行者ミラレパは、人が世界の本当の姿を直接知覚できない理由を、内なる意識が条件づけられすぎているからだと説いた。彼の系譜であるカギュー派では、観想の技を完成させるため、僧が最長七年、洞窟にこもるという。ハワイのカフナは思考そのものに実体があると考え、それを「キノ・メア」——影体——と呼んだ。チベット密教は同じものを「ツァル」と呼び、宇宙はすべての存在のその集合が創造したものだと考えた。

ヨーガ、密教、カフナ、カバラー。本書が世界中から集めてくる伝統は、用語こそ違え、同じ一枚の絵を描いている。見えている世界の下に、波動の領域がある。よく訓練された意識は、そこに触れられる。

行者たちが洞窟で七年かけて磨いたのは、いわばフィルムに当てる光の角度を、自力で変える技術だったのかもしれない。

SEEN WITHOUT INSTRUMENTS
09
DO NOT OPEN THE GATE OF DREAM PEOPLE
第9章夢の人々の門を開けるな

最終盤、本書は最も奇妙な領域に踏み込む。UFO、妖精、死者との遭遇——「見間違い」と「実在」のどちらの箱にも収まりの悪い現象群だ。

本書はここで「全観的(オムニジェクティブ)」という言葉を持ち出す。客観でも主観でもない、第三の現実。ベストセラー『コミュニオン』の著者ホイットリー・ストリーバーは、自らの遭遇体験を、観察する行為そのものが、感覚と輪郭と意識を備えた具体的な現実を創り上げる——いわばマクロ世界で起きた最初の量子現象かもしれない、と語る。見る者と見られるものが分かれていない世界では、「それは実在したのか」という問い自体が、半分壊れている。

本書が最終章の題に選んだのは、オーストラリア先住民の世界観「夢時間(ドリームタイム)」だった。世界は固定された舞台ではなく、いまも夢見られ続けている途中のものだ、という思想である。シャーマンたちは万物を編み目にたとえ、自分はその網の中心にいると考えた。だからこそ網のどこにでも触れられるのだ、と。

そして本書は、ギリシアの詩人オルフェウスの警告を引いて、この領域の扉を静かに閉じる。

「黄泉の国の王プルートーの門の鍵をあけるべからず。中に住むは夢の人々」

門の向こうが危険なのではない。門の向こうとこちらが、最初から続いていることに気づくのが、危険なのだ。

THE GATE WAS NEVER A WALL
10
WHO IS RUNNING THE PROJECTOR
第10章上映しているのは誰か

最後に、誰もが呑み込んだまま読み終えるはずの問いを、こちらから置く。

信念が腫瘍を溶かすなら、なぜこの本を書いた男は死んだのか。

マイケル・タルボットは幼い頃から超常現象とともに育ち、科学がなぜそれを説明できないのかを生涯問い続けた。本書を刊行した翌年の一九九二年五月二七日、白血病のため、ニューヨークで死去。三八歳。死の半年ほど前に収録された映像の中で、彼は痩せた顔で、なお楽しそうに、この投影された宇宙について語っている。

逃げずに答える。本書は「信じれば治る」という本ではない。それを言うなら、ライト氏も死んだのだ。信念は新聞記事一本に殺される程度には脆く、人間は映写機を自由には操れない。タルボットは奇跡の症例を並べながら、一度も「あなたにもできる」とは書かなかった。彼が示したのは可能性の上限であって、操作マニュアルではない。

では、この本は何を残すのか。

寿命ではなく、見え方を取り替える。それがこの本の本当の仕事だ。読み終えたあと、世界は同じ顔をしていない。割れた写真の破片に全体が写っているなら、死とは「どこか」への移動ではない。住所のない記憶が消えないように、最初から分かれていなかったものは、失われようがない——タルボットが最後の数年、自分の病とともに見つめていたのは、おそらくその一点である。

破片に、全体が宿る。なら、あなたという破片にも、全体が写っている。

いまこの記事を映している画面。それを読んでいるあなたの脳。その脳が「外の世界」だと信じて構築している、この部屋の風景。

——上映しているのは、誰か。

WHO IS RUNNING THE PROJECTOR

BIBLIOGRAPHY

書名
投影された宇宙――ホログラフィック・ユニヴァースへの招待
著者
マイケル・タルボット
訳者
川瀬勝
出版社
春秋社
刊行
2005年4月25日(改題新装版/初版1994年)
原題
The Holographic Universe(1991年)
ページ
457ページ
ISBN
978-4-393-36624-0

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