海から来た「それ」は、
二千年、動かない
その神社で写真を撮ると、光の玉が写る。
科学者は、それを「UFOと同じもの」と呼ぶ。
熱海・来宮神社。日本でいちばん不思議な、一本の木の話。
海から来た「それ」は、二千年動かない
その神社で写真を撮ると、光の玉が写る。
緑色だった玉が、拡大して待ち受けにすると、青に変わっていた。撮った本人は言う。「ご先祖様が来てくれたんだと思う」。こんな“変な写真が撮れた”という話が、この神社には山ほどある。
そして――科学者たちは、この手の光の玉を、UFOと同じものだと考えている。
ここは熱海、来宮(きのみや)神社。今から、日本でいちばん不思議な木の話をする。バカバカしいと笑ってもいい。だが最後まで読んだら、あなたはきっと、この木の前に立ちたくなる。
まず、これだけは覚えてほしい。この神社の主役は、建物ではない。一本の木だ。名前を「大楠(おおくす)」という。
年齢、二千百年。幹の太さ、一周り二十四メートル。大人が十五人で手をつないで、やっと一周できる太さだ。日本の本州で、いちばん大きい木。国が「天然記念物」に指定している。
ここで一つ目の爆弾。この木は、神社よりも八百年、年上だ。神社が建ったのは千三百年前。木は二千百年前からここにいた。つまり順番はこうだ。先に、とんでもない木があった。だから人は、そこに神をまつった。木が神社を呼んだのであって、逆ではない。
では、その神は、どこから来たのか。ここから話は、一気におかしくなる。
千三百年前。熱海の海。漁師が網を引くと、木の根が一つ、かかっていた。いらない。海に捨てた。もう一度網を打つ。すると――さっき捨てた木の根が、また網の中にいる。もう一度、遠くへ捨てた。三度目。また、戻ってきた。
海には流れがある。二回も遠くへ捨てたものが、三回目もまた同じ網に戻る。そんなことは、まず起きない。これは、ただ流れ着いたのではない。「この場所に行きたい」と、自分の意志で戻ってきたのだ。
その夜、漁師の夢に、子どもの姿をした神が出てきて、こう言った。「私は五十猛(いたける)という神だ。波の音が聞こえない場所に、私をまつれ」。
おかしいと思わないか。この神は、海から来た。なのに、海の音を「嫌だ」と言う。
昔の日本人は、こう考えていた。海の向こうには、「常世(とこよ)」という別世界がある。あの世のようなものだ。そこから、たまに神が船で訪ねてきて、人間に幸せを置いていく。そういう“お客さんの神”を「まれびと」と呼んだ。恵比寿様も、その仲間だ。
そして、波打ち際は、この世とあの世の「境目」だ。海から渡ってきた神が「波の音を消せ」と言うのは、つまり――「あの世への通り道を、閉じてしまえ」。見えない壁(バリア)を張って、自分をこの世につなぎ止めろ、という命令だったのではないか。
まだある。この五十猛という神の正体が、また濃い。父親は、あの乱暴者の神・スサノオ。しかもスサノオは、日本書紀という古い書物の中で、自分の体の毛を抜いて木を生み出している。ヒゲからは杉。胸毛からはヒノキ。そして――眉毛からは、楠(くすのき)。
つまり神話の理屈でいえば、来宮神社の大楠は、神様の眉毛から生まれた木なのだ。しかも神は「杉と楠は、船にしろ」と命じている。海を渡るための木。その木が、種を全部かかえて海を渡り、日本中に森を作った神――それが五十猛。木を配って歩いた神が、最後に木の姿で、熱海の海に流れ着いた。
伊豆の海沿いには、この「キノミヤ」という名前の神社がいくつもある。どれも、海から流れ着いた神をまつり、どれも千年を超える大木を持つ。まるで、海の向こうから“何か”が、この海岸に何度も上陸してきたかのように。そして熱海の来宮神社は、全国四十四社あるキノミヤの、総本山。上陸地点の、いちばんの親玉だ。
三度、自分の意志で戻ってきた木の根。あの世への扉を閉じろという命令。神の眉毛から生まれ、海を渡る運命の木。渡来の神の血。――これが全部、ただの偶然だと思えるだろうか。
二千百年前、「それ」は海からやって来て、この森で動くのをやめた。今も、いる。そして、姿を見せる。木の肌に、龍として。夜の空に、光の玉として。
次は、その“目撃現場”に踏み込む。
木の肌に、龍がいる
大楠の前に立つと、みんなスマホを構える。映えるから、ではない。もっと変な理由だ。
木の幹を、じっと見てほしい。真ん中あたり。うねった木の皮の一部が、太い蛇が巻きついているように見える。そして右下には、龍が一頭、天に向かって立ち上がっているように見える。
これは「そう見える気がする」という話ではない。実際に前に立つと、目で、はっきり龍と蛇の形が浮かび上がる。だから写真を撮る人が、あとを絶たない。二千百年の木の肌に、龍と蛇が棲みついている。
触れてみた人は、口をそろえて同じことを言う。「あたたかかった」。木の皮は、本当ならひんやりしているはずだ。なのに、あたたかい。「手のひらから、何かが体に入ってくる感じがした」という声もある。木の根元には、ツワブキという黄色い花が、目立たないように咲いている。花言葉は「困難に負けない」。誰も気づかない場所で、それが咲いている。
この木には、二つの言い伝えがある。幹を一周ぐるっと回ると、寿命が一年のびる。そしてもう一つ――願い事を、誰にも言わず、心の中だけで唱えながら一周すると、その願いは叶う。回り方にはコツがある。時計回りに、ゆっくり。願いは絶対に口に出さない。ただ、木と自分だけの秘密にして、歩く。
だが、この木のいちばん怖い話は、これからだ。
大楠は、もともと七本あった。今、一本しか残っていない。なぜか。
幕末のこと。この村で大きな争いが起きて、裁判にお金が必要になった。村人は、神様の木を売ることにした。七本のうち、五本を、次々に伐り倒した。そして、最後の一本にも、ノコギリが当てられた。
その瞬間だ。どこからともなく白髪の老人が現れ、両手を広げて木の前に立ちはだかった。次の瞬間、木こりの持っていた大きなノコギリが、手の中で真っ二つに折れた。そして老人は、煙のように消えた。村人は震え上がり、伐るのをやめた。――それが、今あなたが見上げている、この大楠だ。人が伐ろうとして、神が拒んだ木。
もう一本、忘れてはいけない木がある。「第二大楠」。この木は昔、雷に打たれた。幹の中身は焼けて、ほとんど空っぽ。中はガランドウの、はりぼてのような状態だ。裏に回って触ると、今でも手が炭で黒くなる。
なのに――この木は、死んでいない。青々と葉をしげらせ、今も生きて、育っている。しかも、その空洞の中に、人は入ることができる。焼けて空っぽになった体の内側に立って、二千年生き続ける木の“中身”を、体で感じることができる。
伐られかけても、拒む。焼けて空っぽになっても、生きる。これは、ただ長生きなだけの木ではない。何かが、この木に、宿っている。
そしてその“何か”は、水とも深くつながっている。森の裏には「龍神川(りゅうじんがわ)」という小さな川が流れている。水源は、大楠の根元から湧く水だと伝わる。昔、この川で水をくんでいた農民の前に、突然、大きな龍が水面から現れて、「私にお供えをしなさい」と告げた。言われたとおりにすると、その年は雨がよく降り、豊作になった――そんな話が残っている。
木に龍。川に龍。女神(弁財天)の足元には白い蛇。この狭い森の中で、龍と蛇と水の気配が、ぐるぐると渦を巻いている。
木に宿った“それ”は、昼は木の肌に龍として現れる。では、夜は――?
夜、「それ」は、光になる。
光の玉の正体 ― オーブ、木霊、そしてUFO
夜、来宮神社の森には、約百六十個の明かりがともる。
木の根元、枝の奥に、ぽつぽつと浮かぶ小さな光。神社はこれを「Kodama(木霊)プロジェクト」と呼ぶ。木にやどる精霊――木霊(こだま)を、光で表したものだ。毎日夕方五時から夜十一時まで、暗い森に光の玉が息づく。
ただ、この森では、その明かりとは“別の玉”が写真に写る。第一章で話した、あの光の玉だ。
思い出してほしい。緑だった玉が、青に変わった話。「不思議な写真が撮れる」という口コミは、この神社に、うんざりするほどある。丸くて、白くて、半透明の光の粒。これを、世界では「オーブ」と呼ぶ。
さて、この光の玉の正体は何か。ここで話は、オカルトから一気に、最先端の科学へ飛ぶ。
まず、冷めた説明。「ただのホコリだ」。空気中のホコリや水滴が、カメラの光を反射して、ぼやけて写るだけ。――たしかに、ほとんどはそれで説明がつく。
だが、それでは説明できない光の玉が、ある。そこで登場するのが「プラズマ」だ。プラズマとは、かんたんに言えば“電気を帯びた、光るガスのかたまり”。雷も、オーロラも、燃える炎も、正体はプラズマだ。日本の物理学者・大槻義彦は、昔から出る「火の玉」の正体を、このプラズマだと研究してきた。
そして、空をふわふわ飛ぶプラズマの玉を「球電(きゅうでん)」という。ここが、今夜いちばんの爆弾だ。空を飛ぶ光の玉を、人は昔から「UFO」と呼んできた。オーブも、球電も、UFOも、正体は同じ“光の玉”ではないか――と、大真面目に議論されている。
さらにすごい話がある。アメリカ政府でUFO(未確認現象)を調べていたルー・エリゾンドという人物は、こう言っている。「意識を持ったプラズマの生命体、球体のようなものが、存在するかもしれない」。光の玉は、ただの現象ではなく、“知性を持った何か”かもしれない――世界の最前線は、そこまで来ている。
作り話だと思うなら、これを聞いてほしい。二〇二四年、熱海のすぐ南、伊豆・下田の白濱(しらはま)神社。その上空に、光る物体が現れた。短い間に、十一回も点滅した。飛行機の点滅とは違う。人工衛星でもない。海上保安庁に「何か飛ばしましたか」と聞くと、「何も飛ばしていない」。撮影した人は言い切った。「これはUFOだと思う」。さらに古くは一九五五年、静岡の空に“玉のような物体”が現れ、街中が大騒ぎになった記録もある。
伊豆の神社の空に、光の玉が現れる。これは、偶然だろうか。
もう一つ、点と点をつなぐ線がある。「レイライン」だ。日本には、千葉の玉前(たまさき)神社から、富士山を通って、島根の出雲大社まで、パワースポットが一直線に並ぶ“光の道”がある。「御来光の道」と呼ばれ、春分と秋分の日には、太陽がこの線の上をなぞって東から西へ沈む。その真ん中に立つのが、富士山だ。
そして、風水では、大地の“気”が流れる道を「龍脈(りゅうみゃく)」、その気が噴き出す穴を「龍穴(りゅうけつ)」という。伊勢神宮も日光東照宮も、この龍穴の上に建つとされる。来宮神社は、富士山から地面の下を通って“気”が届く龍穴の上にある――そう語る人がいる。大楠の根が湧かせる水は、もしかすると、富士から届いた地球のエネルギーそのものなのかもしれない。
まとめよう。海から来た“それ”は、木に宿り、龍として肌に現れ、夜は光の玉になる。その光を、昔の人は「神が降りた」と呼び、今の人は「オーブ」と呼び、空に見た人は「UFO」と呼ぶ。呼び名が違うだけで、見ているものは――同じかもしれない。
では、その“光の玉”は、そこにいるだけなのか。いや、違う。それは、来た人間に、はっきりと“作用”する。次章は、その証言集だ。
呼ばれた者たちの証言
まず、いちばん有名な“合図”の話から。
この神社で、大楠の前に立った瞬間、身につけていた数珠(じゅず)が、突然、切れる。ブレスレット型のパワーストーンが、パチンと弾け飛ぶ。――こういう話が、いくつもある。
ふつうなら、不吉だと思うだろう。だが、この森では逆に読む。「悪いものを身代わりに引き受けて、役目を終えたから切れた」。だからそれは、運が好転する合図だ、と。
“その後”の話も、山ほどある。片思いの女性が、大楠を一周した。その次の週、ずっと連絡の取れなかった相手から、突然、連絡が来た。そこから交際が始まった。――転職に悩んでいた人が、お参りの帰り道に、スカウトのメールを受け取った。半年うまくいかなかったのが、そこから一気に決まった。――原因不明のだるさが、参拝したら、うそのように軽くなった。飼っている犬の怪我が、大楠にお参りしたら治った、という声まである。
みんなが口をそろえて言うのは、これだ。「鳥居をくぐった瞬間、空気が変わった」。感覚のにぶい人でも、はっきりわかるほど。ふっと明るい“気”に包まれる。一方で、霊感の強い人は「何かを見た」「怖かった」と言う。同じ森が、人によって、恵みにも、恐怖にもなる。有名な霊能者・江原啓之が、この神社を「今、行くべき聖地」として紹介したことも、火をつけた。
ここで、この神社のもう一つの顔を紹介したい。この神様は、福をくれるだけの、やさしい神ではない。「断つ」神でもある。
昔、この神様は、お酒を飲みすぎて、約束を破ってしまった――という言い伝えがある。神様の、酒の失敗だ。そこから、「お酒を断ちたい人を助ける神」として信仰されるようになった。授与所には「酒難除(しゅなんよけ)守り」という、酒の失敗から守るお守りまである。お酒だけでなく、タバコ、ギャンブル、甘いもの――やめたい癖のある人が、この神様に誓いを立てに来る。
変わったお守りもある。「大楠むし除け守り」。楠の葉には、虫を寄せつけない成分がある(防虫剤の原料になる木だ)。神社はそれを、こう読みかえる。浮気の虫、ギャンブルの虫、子どもの疳(かん)の虫。人に取りつく“悪い虫”を、この木が追い払う。
森のすみには、小さいけれど濃い神様たちもいる。「三峯(みつみね)神社」の使いは、犬ではなく、狼(おおかみ)だ。昔、行者が山でじっと座っていると、どこからともなく狼が群れ集まって境内を埋めた。行者はそれを神のお告げと受け取った――という由来を持つ。「末社七社」という七つの小さな社は、昭和七年に不審火で全部焼けてしまい、なんと九十年後の令和四年に、ようやく建て直された。九十年、神様たちは仮住まいで待っていたのだ。弁財天(女神)の像は、上野の西郷隆盛像を作った名彫刻家・高村光雲の作で、一年に一度、十一月二十三日だけ扉が開く。
だが、これらの話をいくら並べても、本当のことは、わからない。この森の“それ”と本当に出会えるのは、昼ではない。夜だ。
夜、結界の内側で
もう一度言う。昼の来宮神社は、明るい。人でにぎわい、カフェは満席、落ち葉で作ったハートを探して、みんな笑っている。
だが、日が落ちると、この森は、まったく別の顔になる。
夕方五時。約百六十個の明かりがともり、人が引いていく。波の音は、もともと届かない(神様が、そう命じたのだった)。聞こえるのは、龍神川のせせらぎと、風が枝を鳴らす音だけ。
そして、暗闇の中に、大楠が浮かび上がる。
昼よりも、ずっと大きく見える。下から光を当てられた二千百年の巨木は、こぶだらけの幹が、まるで生き物の肌のようにうごめいて見える。枝が、腕のように、闇に広がる。昼は「映える神社」。夜は「畏れる神社」。同じ森が、日が落ちるだけで、拝む場所から、向き合う場所に変わる。
夜にお参りした人は言う。にぎわいの消えた森で、自分の心の底の問いに、ふっと答えが降りてくる、と。光の玉(木霊)たちが、すぐ近くで、そっと微笑んでいる気がする、とも。一方で、正直な人はこう言う。ひとりで立つと、背筋が寒くなる。何かに、見られている気がする。怖い、と。
それで、いい。むしろ、それが正しい。「畏れる(おそれる)」という言葉は、「敬う(うやまう)」と、ほとんど同じ意味だ。昔の人は、神様を、まず怖がった。うっかり粗末にすると、バチが当たる。恐ろしいからこそ、頭を下げた。夜の来宮神社は、その忘れられた感覚を、あなたに思い出させてくれる。美しくて、怖い。それこそが、神様と向き合うということの、本当の手ざわりだ。
海の向こうの別世界から、木の姿でやって来た「それ」。あの世への扉を閉じ、波の音を断って、この森に自分を閉じ込めた「それ」。二千百年、動かず、龍として、光の玉として、姿を見せ続ける「それ」。
その正体が、神なのか、精霊なのか、それとも科学者の言う“知性を持った光”なのか――それは、誰にもわからない。わかるのは、ひとつだけだ。確かめる方法は、行くこと。あの木の前に、自分の足で立つこと。
昼だけ見て帰るなら、この神社の半分しか見ていない。できるなら、日が落ちるまで、いてほしい。そして、暗闇に浮かぶ大楠の前に、たった一人で立ってみてほしい。
あなたはそこで、初めて――「それ」を、感じるはずだ。
――さあ、次は、あなたが行く番だ。
神様の好物を、食べて帰る
千三百年前、漁師が神様に供えたのは「麦こがし」――大麦を炒って挽いた、香ばしい粉だ。今、その麦こがしがスイーツになっている。境内のカフェで食べる映えスイーツは、千三百年前に神へ供えた物の、子孫なのだ。
来宮は「日本一おしゃれな神社」と呼ばれ、境内に四つのカフェがある。境内を出れば、干物、イカメンチ、熱海プリン、延命堂の温泉まんじゅう。食べ歩きの町だ。
湯と、町
来宮の神様は「入り来る者も守護する」と告げた、旅人の神。だから熱海は、来る者を湯で迎える町になった。源泉は六百以上。日帰りなら「オーシャンスパ Fuua」の海一望の露天立ち湯。夏は湾に花火が上がる(熱海海上花火大会)。半日あれば、大正の別荘・起雲閣や、相模湾を見晴らすMOA美術館も巡れる。
来宮参りの夜は、熱海の湯に泊まる
記念日や自分へのご褒美は高級旅館、気軽な旅は手頃な温泉宿。目的で選べます。
泊まらず、湯と体験だけ楽しむ
日帰り温泉やアクティビティのチケットは、アソビューで事前に。
参拝の作法とアクセス
モデルルート(一日)
- 1午前 / 来宮神社
来宮駅から徒歩5分。本殿と弁財天 → 大楠を、願いを胸に一周 → 第二大楠の空洞へ → 木の肌の龍と蛇を探して一枚。 - 2昼 / 茶寮
境内のカフェで来福スイーツと一服。坐KURAで座禅も。 - 3午後 / 熱海の町
熱海銀座で食べ歩き → 起雲閣かMOA美術館。 - 4夕 / 湯
日帰り湯(オーシャンスパFuua 等)で、歩いた体をほどく。 - 5夜 / ふたたび来宮神社
17時からのライトアップ。暗闇に浮かぶ大楠の前に、ひとりで立ち、昼の願いを、もう一度、静かに念じる。
海を嫌った神が墜ちた森で、光の玉に見送られて、一日を終える。
来宮、ふらっと車で行くと──停めるとこ、無かとよ。
混む・停めれん・閉まる。
来宮の“つまずき”、先につぶすばい。
熱海・来宮神社を、ストレスゼロで巡るための実用ナビ。案内するのは、うちヴィヴ。
電車が、いっちゃん楽たい。
駐車場は約50台。すぐ埋まる
停められるのは第2・第3・鳥居横の計約50台(第1はバス専用)。料金は90分300円(9〜17時)。土日・正月・例大祭は、ほぼ満車と思っておいたほうがいい。
だから、電車がいちばん確実
JR伊東線「来宮駅」から徒歩約5分。熱海から一駅。熱海駅から歩くと、坂で約20分かかる。荷物が重い日や暑い日は、来宮駅まで乗るのが正解。
いつ行くと空いてる?
正月三が日、こがし祭(7/14〜16)、週末の昼は激混み。狙い目は平日、または週末でも朝イチの9時台。夜(17時以降)は人が引いて、ぐっと静かになる。
トイレも今のうちに済ませとき。多目的トイレもあるけん、なーんも心配いらんよ。
参拝の順番
鳥居をくぐって、まず本殿。次に弁財天。そして最後に、御神木の大楠へ。この順で回ると気持ちが整う。
トイレ・ベビーカー・車椅子
境内には多目的トイレ・おむつ替えシートがあり、バリアフリーの整備も進んでいる。ただし熱海全体が坂の町。車椅子なら介助者と一緒が安心。犬は同伴可(屋内は不可)。
カフェと授与所は「日中」
境内の茶寮、授与所、御朱印はおおむね9〜17時。カフェも夕方には閉まる。夜のライトアップ目当てでも、御朱印やお守り、スイーツは日中に押さえておくのが吉。
回り方に、ちょっとコツのあるとよ。
願いはね……口に出したらいかんばい。
回り方
大楠の前で一礼して、時計回りにゆっくり一周。願いは誰にも言わず、心の中だけで唱えるのが決まり。一周すると寿命が一年延びる、とも伝わる。
写真のコツ
幹に浮かぶ龍と蛇、落ち葉の猪目(ハート)が人気。境内にはスマホスタンドもある。ただし混雑時は独り占めせず、後ろの人に譲りながら。
静けさを守る
大声や、長時間の場所取りは控えたい。二千百年、静かに立ってきた木。敬意をもって向き合えば、この場所はちゃんと応えてくれる。
夜まで残れるなら……ライトアップ、見らんと損ばい。
御朱印は日中に
受付は9〜17時。初穂料は300円(媒体により500円の表記もあり、最新は現地で確認を)。木製のオリジナル御朱印帳が人気。夕方は列ができることもあるので、早めに。
夜のライトアップ
境内は常時17〜23時にライトアップ。ただし授与所は17時で閉まる。だから「御朱印は昼、ライトアップは夜」と分けるのが賢い。夜は人が引いて、大楠を独り占めできる時間帯もある。
支払いは現金を用意
カフェ・授与所のキャッシュレス対応は要確認。小銭・現金を用意しておくと、どこでも詰まらない。
あとは自分のペースで、ゆっくり来宮を楽しんでね。
いってらっしゃい、ばい。


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