人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である ― 金融のプロが辿り着いた、たった一つの真実

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人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である ― 金融のプロが辿り着いた、たった一つの真実

幸せになりたい。

誰もが、そう願う。なのに、なぜ、こんなにも幸せになれないのか。

その問いに、真正面から答えようとした本がある。

『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である ― こころの資本の経済学』。著者は、樋口耕太郎。元・野村證券の金融マンであり、ニューヨークで経営学を修めたエリートが、ある日、すべてをひっくり返して辿り着いた、一つの結論。

それが、この長いタイトルに、すべて込められている。

呼ばれた者だけが、この旅に出る。


この本は、何者なのか

まず、この本の成り立ちが、ただ事ではない。

本書のもとになったのは、沖縄で、10年以上にわたって、ひっそりと開かれてきた、一つの講義である。「次世代金融講座」。そこに、夜な夜な通っていたのは、日本トップクラスの経営者、ジャーナリスト、学者たち。

肩書きを持った大人たちが、わざわざ沖縄まで足を運び、何を学んでいたのか。

「愛」と「経済」について、である。

奇妙な取り合わせに聞こえるかもしれない。愛と、金。普通なら、相容れないと思われている二つ。だが、本書は、その二つが、実は深いところでつながっていると説く。

その“伝説の講義”が、ついに一冊にまとまった。それが、この本である。

440ページ。分厚い。だが、読み始めると、止まらない。なぜなら、ここに書かれているのは、きれいごとではなく、著者自身が、人生を賭けて掴み取った、生々しい真実だからだ。


著者・樋口耕太郎という男

著者の経歴を辿ると、その言葉の重みが分かる。

樋口耕太郎。1965年、岩手県盛岡市生まれ。筑波大学を出て、野村證券に入社。ニューヨークの野村證券を経て、ニューヨーク大学の大学院で、経営学修士を取得。絵に描いたような、金融エリートの道。

成果。効率。数字。彼は、その世界の住人だった。

転機は、沖縄で訪れる。

2004年、彼は、経営が傾いていた沖縄のリゾートホテルを手に入れる。そして、そこで、誰もやらなかったことをやった。「愛」を経営理念に掲げて、ホテルを立て直したのだ。

成果主義のプロだった男が、180度、考えを変えた。

効率や数字ではなく、「愛」で経済を動かす。そんなことが、本当にできるのか。できた。彼は、それを、机上の空論ではなく、現場で証明してみせた。

数字の世界の頂点を見た男が、その先で「愛」に辿り着いた。だからこそ、本書の言葉は、軽くない。

そして、樋口耕太郎の歩みは、今も止まっていない。事業再生の会社を立ち上げ、沖縄の大学で教鞭をとり、近年は、世界初のイカ養殖の事業化に挑むベンチャーの一員にもなった。「こころの資本」という、彼独自の考え方を、ただ語るだけでなく、現実のビジネスの中で、証明し続けようとしている。

理論家ではない。実践者である。沖縄から貧困がなくならない理由を問い、現場に立ち、自分の手と足で確かめてきた。本書の一行一行に、その実体験の重みがにじむ。だから、読者は、ページの向こうに、生身の人間を感じる。きれいな理屈ではなく、傷だらけの真実を。


なぜ、私たちは幸せに生きられないのか

本書が、最初に突きつけてくる問いは、これだ。

「なぜ、私たちは幸せに生きられないのか」。

著者の答えは、衝撃的である。本書によれば、その原因は、私たちが生きている、この資本主義という仕組みそのものにある、という。

どういうことか。

経済が成長し続けるためには、人々が「満たされていない」状態でなければならない、と本書は説く。満足してしまったら、人はもう、物を買わない。だから、経済は、人々の心に「まだ足りない」「もっと必要だ」という渇きを、絶えず生み出し続ける。

つまり、私たちは、構造的に、永遠に満たされないように、仕向けられている。

本書は、これを、映画『マトリックス』にたとえる。主人公ネオが、赤いカプセルを飲んで、これまで現実だと信じていた世界が、実は仮想現実だったと知る、あの場面。私たちが「価値がある」と信じて追いかけているものの多くは、実は、つくられた幻想なのではないか、と。

ショッキングな話だ。だが、心のどこかで「その通りかもしれない」と感じてしまう。それが、この本の怖さであり、面白さである。

著者は、金融の最前線にいた人間だ。だからこそ、この告発には、説得力がある。外から資本主義を批判しているのではない。その心臓部で働き、その仕組みを誰よりも知り尽くした人間が、「これはおかしい」と言っている。本書によれば、物質的な豊かさは、ある水準を超えると、もう幸せには結びつかない。なのに、私たちは、その先も、なお豊かさを求め続けるよう、仕向けられている。

では、どうすればいいのか。本書は、資本主義を「敵」として全否定するわけではない。それを「目的」にしてはいけない、と言うのだ。お金や成長は、あくまで手段にすぎない。手段を目的と取り違えたとき、人は、幸せから遠ざかっていく。


孤独とは、自分を愛せないこと

本書の核心は、タイトルにある通り、「自分を愛する」ということだ。

ここで、多くの人が誤解する。「自分を愛する」なんて、わがままで、自己中心的なことではないか、と。

本書は、はっきり否定する。

利己主義と、自分を愛することは、正反対である、と。むしろ、自分を愛せる人こそが、他人を本当に愛することができる。自分を愛することと、他人を愛することは、根っこでは同じだ、と本書は説く。

そして、孤独について、深い洞察がある。

本書によれば、孤独とは、物理的に一人でいることではない。たとえ大勢に囲まれていても、自分を愛せないとき、人は孤独になる。孤独の正体とは、自分とのつながりを失うこと。自分を信頼できず、自分に向き合えず、自分から分離してしまった状態。

逆に言えば、自分とつながっている人は、たとえ一人でいても、孤独ではない。

本書は、哲学者ハンナ・アーレントの言葉も引きながら、この違いを描き出す。一人でいること(ソリチュード)と、孤独に苦しむこと(ロンリネス)は、まったく別物だ、と。前者は、自分と静かに向き合っている、豊かな時間。後者は、自分を見失い、自分から切り離された、苦しい状態。同じ「一人」でも、天と地ほど違う。

この一節に、ハッとさせられる人は、多い。自分が抱えていたあの感覚は、孤独ではなく、自分を愛せていなかったことだったのか、と。

そして本書は、優しく、しかし厳しく告げる。自分を受け入れてくれる誰かを、外に探しに行く前に、まず、自分自身が、自分を受け入れること。順番が、逆だったのだ、と。


四本の指を、離していく

本書の後半には、印象的な「型」が登場する。

人は、何かを、固く握りしめている。手放せないもの。それを、指を一本ずつ離すように、手放していく。本書は、そのプロセスを語る。

握りしめているもの。それは、「愛だと思っているもの」。「正しいと思っていること」。「過去と未来」。そして最後に、「赦せない誰か」。

過去と未来は幻想であり、本当に存在するのは「いま、この瞬間」だけだ、と本書は説く。今、打席に立て、と。

そして、赦し。

赦せない人を、赦す。それは、相手のためではない。本書は言う。赦しは、人のためならず、と。握りしめた怒りや恨みを手放すことは、結局、自分自身を、その重さから解放することなのだ。

一本ずつ、指を離していく。握りしめていたものを手放したとき、はじめて、人は、自分の中の愛に出会う。


経済の話なのに、なぜ岡本太郎が出てくるのか

面白いのは、これが「経済学」と銘打たれた本でありながら、登場するのが、経済学者だけではないことだ。

野茂英雄。キング牧師。ノーベル平和賞のムハマド・ユヌス。そして、岡本太郎。

著者は、こうした人物を「ブラックスワン(黒い白鳥)」と呼ぶ。誰も予想しなかった、突然変異のような存在。常識の外から現れて、世界の見方を変えてしまう人たち。

中でも、岡本太郎の言葉が、印象的に引かれている。本書によれば、岡本太郎は、こう語ったという。人生は積み重ねだと、誰もが思っている。だが、自分は逆に、積み減らすべきだと思う、と。財産も知識も、蓄えるほど、人間は自在さを失う。捨てれば捨てるほど、いのちは膨らんでくる、と。

これは、本書が説く「指を離す」という思想と、見事に響き合っている。

経済の本でありながら、芸術家の魂が宿っている。だからこの本は、ビジネス書の棚に収まりきらない。


この本の、正しい読み方

最後に、正直なことを書いておく。

この本は、440ページある。決して、軽い本ではない。前半は、資本主義の構造を、論理的に、容赦なく解き明かしていく。経済の話が苦手な人には、少し骨が折れるかもしれない。

だが、恐れる必要はない。

著者は、難しい理論を、自分の実体験や、映画の具体例を通して、わかりやすく語ってくれる。マトリックス、グラウンドホッグ・デイ、絵本『ヤクーバとライオン』。物語の力を借りて、抽象的な話が、すっと胸に入ってくる。

そして、この本は、一度で理解しようとしなくていい。

ある読者は「飛行機で一気読みした」と言い、別の読者は「読了するのが惜しいくらいの名著だった」と言う。一気に読んでも、ゆっくり噛みしめても、それぞれの形で、心に残る。

大事なのは、頭で理解することではなく、心で感じること。読みながら、自分の人生に、そっと重ねてみること。そのとき、この本は、ただの読み物ではなく、自分自身を映す鏡になる。


なぜ、この本が、これほど読まれるのか

2025年に世に出てから、この本は、静かに、しかし確実に、広がり続けている。

なぜか。

一つには、書き手が「本物」だからだ。きれいごとを並べた自己啓発書とは違う。野村證券で数字の世界の頂点を見て、その上で「それでは幸せになれない」と気づいた男が、自分の言葉で語っている。だから、嘘がない。

もう一つは、誰もが、心の奥で、同じことを感じているからだ。

頑張って、稼いで、手に入れて。それなのに、なぜか満たされない。この感覚に、覚えのない人は、少ないだろう。本書は、その正体を、構造から解き明かしてくれる。

読み終えたとき、世界の見え方が、少し変わる。お金とは何か。幸せとは何か。そして、自分とは何か。当たり前だと思っていたことが、根っこから問い直される。

その「問い直し」こそが、この本の、本当の贈り物である。

実際、読んだ人の多くが「今年読んだ本の中でベストワン」「人生観を揺さぶられた」と口を揃える。経営者も、若者も、立場の違う人々が、それぞれの場所で、それぞれの何かを受け取っている。それは、この本が、特定の誰かではなく、生きることそのものに向き合っているからだろう。


こんな人に、この本は呼ばれている

この本が「呼んでいる」のは、どんな人か。

頑張って生きてきたのに、なぜか満たされない人。

お金や成功を追いかけてきたが、その先に、何があるのか分からなくなった人。

人を愛したいのに、その前に、自分を愛せていないと、薄々気づいている人。

そして、孤独を抱えながら、その孤独の正体が分からずにいる人。

仕事で成果を出してきたのに、ふとした瞬間、これは本当に自分が望んだ人生だろうか、と立ち止まってしまう人。

誰かのために生きてきたつもりが、いつのまにか、自分が空っぽになっていた人。

そういう人が、ある日、この長いタイトルを、どこかで目にする。書店で。SNSで。誰かの言葉の中で。

「人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である」。

そのタイトルが、なぜか、胸に刺さる。それが、呼ばれる、ということだ。


呼ばれた者へ

『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である ― こころの資本の経済学』。

金融のプロが、すべてを賭けて辿り着いた、たった一つの真実。

愛と、経済。一見、無関係に見える二つを貫いて、本書が指し示すのは、「自分を愛する」という、シンプルで、しかし最も難しい旅。

その旅は、一日では終わらない。長い時間がかかる。一生かかるかもしれない。

だが、もし、あなたが、今、このタイトルが、なぜか気になっているのなら。

それは、偶然ではない。

あなたの旅は、もう、始まっている。

― あなたは、今、呼ばれている。

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