波動の法則──足立育朗が宇宙から受け取った、世界の正体

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VIBES TOURISM / BOOKS

図面を引く手で、
宇宙の設計図
書き取った男。

THE LAW OF VIBRATION
『波動の法則 ― 宇宙からのメッセージ』
足立育朗(あだち いくろう)/ ナチュラルスピリット

早稲田を出た一級建築士が、43歳で「自分はエゴだらけだった」と人生を捨てた。図面を引くその手で、今度は宇宙から降りてくる図形と数式を、ただ書き取り始める。妹は同じ宇宙を、絵筆で写した。これは、その往復の記録である。

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INTRO 宇宙を見上げた、その夜から始まった
宇宙を見上げた、その夜から始まったIt began the night he looked up at the cosmos

「波動」という言葉を、今では誰もが当たり前に使う。だがこの言葉を日本語の日常に住み着かせた一冊が、丸腰のまま世に出ていたことは、あまり知られていない。

参考文献ゼロ。願いも叶えてやらない。証明もしない。それでも三十年、誰かの本棚で生き延びた本がある。書いたのは、宇宙とも魂とも縁遠い場所で四十年生きてきた、一人の建築家だった。

この本が最後に突きつけてくるのは、壮大な宇宙論ではない。「今日、ふと感じた方を選べるか」という、拍子抜けするほど小さな一歩だ。

01
The Architect Who Quit Reality
第1章43歳、建築家は「全部エゴだった」と言った

建築家というのは、伝えることで飯を食う人種だ。

頭の中にしかない建物を、線と数字に翻訳する。その図面を、現場の職人が読み、施主が読み、役所の人間が読む。全員が同じものを思い浮かべられなければ、建物は一ミリも建ち上がらない。図面とは、他人の頭の中に自分のイメージを正確にコピーするための、究極の伝達言語だ。足立育朗は、その言語を四十年以上あやつってきた男だった。

1940年、東京生まれ。早稲田の建築学科を出て、二十代で自分の事務所を構えた。図面を引き、構造を計算し、建物を建てる。およそ「宇宙からのメッセージ」だの「魂」だのとは、地球の裏側くらい縁遠い場所で生きてきた人である。

その男が、四十三のときに、ふと手を止めた。

きっかけは、笑ってしまうほど素朴な疑問だった。設計をしていると、理屈をこねくり回した果てに、答えがふっと降りてくる瞬間がある。誰でも経験のある、あの「ひらめき」だ。普通はそれを、勘とか経験とか、その程度の言葉で片づけて先に進む。ところが足立は、片づけられなかった。あのふっと降りてくるやつは、いったいどこから来ているのか。直観とは、閃きとは、何なのか。一度気になり出したら、止まらなくなってしまった。

四十三といえば、人生でいちばん降りられない年齢だ。事務所がある。家族がいる。積み上げた信用と、それで回っている生活がある。普通はそこで、余計なことを考えるのをやめる。足を止めた自分に気づかないふりをして、また図面に戻る。

足立は、戻らなかった。

それどころか、四十三年ぶんの自分を、まるごと否定してみせる。建築家であることを前提に生きてきた。人間とは何か、生きるとは何か、そういう肝心なことには一度も向き合わずに来た。エゴだらけだった——本人がそう振り返っている。そして1983年、妹の足立幸子を相棒に、「波動」というわけのわからないものを追いかける旅に出る。一級建築士が、自分の立っている地面を、自分で掘り返して更地にしたのだ。

その更地から生えてきたのが、この『波動の法則』である。1995年に世に出て、一度は絶版になり、それでも読者が手放さず、2007年に復刊した。三十年近く、誰かの本棚で生き延びて、ついには「波動」という言葉を日本語の日常に住み着かせてしまった一冊だ。

伝えることで生きてきた男が、人生の後半を、まるごと別の何かに賭けた。面白いのは、図面を引くその手だけは、最後まで残ったことだ。建築家の手は、建築家のまま。ただ、描く対象が、ビルから宇宙に変わった。これから先のページで足立がやるのは、要するに、宇宙の設計図を引くことなのである。

CH.01 図面を引く手は、宇宙へ向いた
図面を引く手は、宇宙へ向いたThe hand that drew blueprints turned toward the cosmos
02
Two Siblings, One Signal
第2章兄は数式で、妹は絵で、同じ宇宙を”受信”していた

この本のいちばんゾクッとする話は、本文の中にはない。本ができあがる、その手前にある。

足立育朗には、妹がいた。足立幸子。1946年生まれ。デザイン会社でインテリアやカラーコーディネートを手がける、ごく真っ当な商業デザイナーだった。流行の色を選び、部屋を整える。宇宙とも魂とも、縁のない仕事である。

その兄と妹に、ほとんど同じ時期に、同じことが起きた。

二人は別々に、しかし示し合わせたように、こう直観してしまう。この宇宙にあるものは全部、波動の組み合わせでできている——と。普通なら、片方が言い出して、もう片方が「お前、大丈夫か」と心配する場面だ。ところがこの兄妹は、二人ともそれを掴んでしまった。血のつながった二人が、同じ電波を、同じ時期に受信した。

そして、ここからが面白い。二人は、役割を分けたのだ。

育朗本人が書いている。妹はその波動をアートで表現する、自分はそれを科学的に情報として受け取って伝える、そう互いに決めてスタートした、と。同じものを受け取りながら、出口を変えた。兄は建築家の手で、数式や幾何学的な図形に書き取っていく。妹は画家の手で、色とかたちに描き出していく。受け取ったものを記録する兄と、表現する妹。理系と芸術系で、こんなにきれいに役割分担した霊感兄妹も珍しい。

妹のほうは、それから人生を大きく折り曲げる。1985年、堅実なデザイナーをやめて、「コズミックアーティスト」を名乗りはじめた。宇宙を描く画家、という意味だ。怪しい、と思うだろうか。ところがこの人、1989年にはニューヨークのアート展に作品が入選している。趣味の延長で済む話ではなかった。兄が言葉と数式で宇宙を写したように、妹は本当に、絵筆で宇宙を写しにいったのだ。

決定的なのは、二人の作品を並べたときに起きる。

妹が遺した絵のシリーズに、「異次元への扉(テレポーテーション)」という一枚がある。一方、兄が書いたこの本の第六章のタイトルは、「地球文化の未来——時空間移動(テレポーテーション)を経て」。

言葉も、メディアも、まるで違う。片方は油彩か何かの一枚絵で、片方は理屈を積み上げた本の章だ。なのに、たどり着いた一語が、ぴったり同じだった。テレポーテーション。二人は、同じ景色を、別々の窓から見ていた。

だから本書を読むときは、ページの隣に、もう一人いると思っていい。同じ宇宙を見上げて、こっちは言葉じゃなく絵で答えを出そうとしていた人が。兄が書き、妹が描いた。同じ一つのものを。

CH.02 兄は数式で、妹は絵筆で、同じ宇宙を写した
兄は数式で、妹は絵筆で、同じ宇宙を写したBrother in equations, sister in paint — copying the same cosmos
03
No Proof, And No Wishes Granted
第3章参考文献ゼロ。おまけに「願いを叶えたい人」は突き放す

科学のフリをした本には、たいてい武装がある。実験データ、参考文献、偉い人の引用。「ほら、ここに根拠がある」と並べて、読者を黙らせるための鎧だ。

この本は、丸腰で出てくる。

足立はまえがきで、あっさり白状する。本書に参考文献は一切ない。推察も仮説も立てない。自分が直観で受け取った宇宙からの情報を、できるだけ正確に、具体的に報告するだけだ——と。彼が掲げた看板は「正確に報告する」であって、「わかりやすく伝える」ではない。報告と伝達は、似ているようでいて、向いている方向がまるで違う。前者は事実に忠実であろうとし、後者は相手に合わせようとする。足立が選んだのは、前者だった。

普通、根拠のない宇宙論なんて、鼻で笑われて終わりだ。ところが足立は、その鼻で笑われる弱点を、自分から差し出してくる。これは今の人類が持っている知識より、はるかに高い次元の情報だ、と平然と書くのだ。つまり、あなたたちにはこれを証明することも、否定することもできませんよ、と。普通なら隠したい弱みを、堂々と表に置く。逃げ道を自分で塞ぐこの態度が、なぜか妙な迫力を生む。

だが、いちばん人を食っているのは、ここから先だ。

スピリチュアル本といえば、相場は決まっている。これを読めば願いが叶う、お金が入る、健康になる、特別な力が目覚める——そう囁いて、読者の欲望に火をつける。商売として、それが一番売れるからだ。

足立は、その一番おいしい部分を、自分から蹴り飛ばす。

金が欲しい、超能力が欲しい、健康になりたい。そういうのは全部、個人の欲望にすぎない、と彼は言う。体の一部分だけに特別な力が芽生えるなんて、全体で見れば、むしろ調和が崩れた不健康な状態だ、とまで言い切る。願望成就で売るのが王道のジャンルで、願望そのものを「不調和」と切って捨てる。客が欲しがっているものを、目の前で否定してみせる本なのだ。

じゃあ、どうしろと。

ここで足立は、順番をひっくり返す。欲しいものに向かって手を伸ばすな、と言う。欲しがるのをやめて、まず腹を決めて、調和した方へ素直に動け。それを淡々と繰り返していれば、あなたの波動はだんだん整って、安定して上がっていく。そうして——その結果として、健康も、願っていたことも、あとから勝手についてくる、と。

欲しがると逃げる。手放すと来る。

証明もしない。願いも直接は叶えてやらない。それでもこの本が三十年、誰かの本棚で生き延びたのは、たぶんこの引き算のせいだ。何も売りつけてこない本というのは、何でも約束してくる本より、ずっと信用できる。足立は最後まで「信じてくれ」とは言わなかった。ただ「私はこう受け取った、あとはご自由に」と、突き放しただけ。その素っ気なさに、人は逆に手を伸ばした。

CH.03 欲しがるのをやめた手にだけ、巡ってくる
欲しがるのをやめた手にだけ、巡ってくるIt comes only to the hand that stopped grasping
04
The Neutron Is Consciousness
第4章中性子は「意識」、陽子は「意思」——原子に心が宿るという再定義

理科の教科書を思い出してほしい。原子のまんなかに核があって、その中に中性子と陽子が詰まっている。まわりを電子がくるくる回っている。あの絵だ。世界中の子どもが、同じ絵を習う。

足立は、その同じ絵を持ってきて、上から別の意味を書き込む。

中性子は、意識だ、と彼は言う。役割は、調和させ、増幅すること。あらゆるものを調和の方へまとめ、エネルギーを広げていく。陽子は、意思だ。役割は、愛を発信すること。宇宙の根本にある「愛」という法則を、外に向かって送り出す。そして電子は、「光子」というエネルギーが、ぐるぐる回転している状態なのだという。

何を言っているのか。地上の言葉に直すと、こうなる。物の、これ以上分けられない最小の部品の中に、すでに「気づく力」と「向かう力」が、はじめから組み込まれている。心と物は、別々に生まれて後から合体したんじゃない。最初から、同じ一つのものだった。

私たちは逆に習ってきた。まず物質があって、それが気の遠くなるほど複雑に組み上がった果てに、脳ができて、そのおまけみたいに心がポッと生まれた、と。物が先、心が後。足立は、この順番をひっくり返す。心のほうが、物と同じだけ、根っこにある。後付けのおまけなんかじゃない、と。

ここで一つ、足立らしいところがある。彼は、この途方もない再定義を、誰かに証明してみせようとしない。実験して見せるでもなく、言葉を尽くして説得するでもない。ただ、自分が受け取ったとおりの構造を、黙々と図と数式に起こしていくだけだ。実は、この本を「読みにくい」と感じさせる正体が、まさにこの図と数式なのだが、足立はそれを、初心者向けに描き直したりはしない。受け取ったまま、出す。それだけ。

この上書きを受け入れると、世界がおかしなことになる。

心を持つのは、人間や動物だけじゃなくなるのだ。鉱物にも、植物にも、机の上のコップにも、引き出しのネジ一本にも、それぞれの意識と意思が宿っていることになる。「物にも心がある」「物を大事にしろ」——日本人が昔からなんとなく感じてきた、あの感覚。足立はそれを、お説教や比喩としてではなく、原子レベルの物理現象として、真顔で説明してみせる。

この章が、本全体の急所だ。中性子に意識が宿っている——この一点を呑み込めるかどうかで、このあとに出てくる魂の話も、病気の話も、生き方の話も、すべてが立つか、まとめて崩れるかが決まる。ここを通れたなら、あなたはもう、足立の見ている世界に片足を踏み入れている。
CH.04 原子の芯に、すでに心は積まれていた
原子の芯に、すでに心は積まれていたMind was already loaded into the core of the atom
05
You Are a Nucleus Without Electrons
第5章あなたは肉体ではない。電子を持たない「核」=エクサピーコ

「あなたは誰?」と聞かれたら、人はまず名前を言い、職業を言い、最後にたいてい、自分の胸あたりを指す。この体。これが私だ、と。ほとんどの人が、疑いもせずそう思っている。

足立は、そこに冷や水をかける。それは、あなたじゃない。

彼が受け取った情報によれば、人間の本当の中身は、エクサピーコ(EXA PIECO)と呼ばれるものだという。日本語にしづらいが、ざっくり言えば「原子核の集合体」。ただし、ただの原子核じゃない。電子を持たない原子核の集まりなのだ。

前の章を思い出してほしい。電子は「光子が回転している状態」で、物がこの世に現れるための部品だった。物質として姿を見せるための、いわば表示装置。エクサピーコは、その電子を持っていない。だから、物として現れない。目に見えない。手で触れない。測定器にもかからない。それでいて、確かに在る。それが、あなたの正体だと足立は言う。

私たちが「本当の自分」と聞いて思い浮かべるのは、たいてい性格や、これまでの記憶や、経験の積み重ねだ。あいつは頑固だとか、あの夏の思い出だとか。足立にかかると、それも全部、あなたじゃない。性格も記憶も、肉体にくっついた付属品にすぎない。本体であるエクサピーコは、肉体が滅んでも、消えない。これが、本書でいう「魂」にいちばん近い。そしてこれもまた、人間だけの特権ではなく、鉱物にも、植物にも、あのネジ一本にも宿っている。

消えないなら、なぜわざわざ、こんな面倒な肉体をまとって生まれてきたのか。

足立の答えは、迷いがない。宇宙の仕組みを学んで、自分の波動を調和した高いほうへ成長させるため。そのために、この体という器を、自分で選んで生まれてきた、と。人生は、罰でも、偶然の事故でもない。魂が「学んでくる」と決めて選んだ、期間限定の留学のようなものだ。うまくいかないことも、理不尽な目に遭うことも、留学先の課題だと思えば、見え方が変わってくる。

だとすれば、死は、終わりではない。器を脱ぐだけのこと。脱いだあとも、本体は、ちゃんと残る。

これを、頭で理解した理屈としてではなく、生き方そのものとして握りしめていた人が、この本のすぐそばに、実在した。器を脱ぐことを、まるで恐れていないような生き方をした人が。それが誰なのかは、いまは置いておく。

CH.05 目に見えないその核が、あなたの本体だった
目に見えないその核が、あなたの本体だったThat unseen core was your true self all along
06
Three Selves Inside You
第6章中にいる3人の私——ディカ、フィック、そして本質

エクサピーコが本当の自分だとして、じゃあ今こうして「自分」だと思っているこの感覚は、いったい誰なんだ。当然そう聞きたくなる。足立は、人間の意識を三人に分けて答える。あなたの中には、三人住んでいる、と。

一人目は、顕在意識。本書ではディカと呼ぶ。こいつの仕事は、体を守ることだ。危ないものから逃げる、腹が減ったら食わせる、損をしないよう計算する。本来はちゃんと役に立つ、生き延びるための番犬である。ところが現代では、この番犬が太りすぎて暴走しがちだ、と足立は言う。「自分さえよければいい」が口癖になり、朝から晩まで損か得か、勝ちか負けかを計算し続けている。あなたが日頃「自分」だと思っているうるさい声は、だいたいこのディカだ。

二人目は、潜在意識。フィックという。こっちは表に出てこない、縁の下の働き者だ。過去の記憶を全部しまっておき、体の維持を一手に引き受ける。心臓を打たせ、傷をふさぎ、寝ているあいだに細胞を入れ替える。あなたが何も命令しなくても、二十四時間、黙って体を回し続けている膨大な仕事——あれは全部、フィックがやっている。

三人目が、本質。エクサピーコだ。本当の主役であり、宇宙から情報を受け取るアンテナの役を持っている。

ここで、ちょっと意地の悪いことを言う。いまこの瞬間、あなたが「ディカ? フィック? どういうことだ、ちゃんと理解しよう」と頭を働かせている、その働きそのものが、ディカの仕事なのだ。損か得か、正しいか間違いか。そうやって測りにかかった瞬間、いちばん視野の狭い番犬が、しゃしゃり出てくる。この本を「わかろう」と力めば力むほど、皮肉なことに、本当の主役からは遠ざかる。そういう、ねじれた仕掛けになっている。

私たちは「自分は一人」だと思って生きている。ところが蓋を開ければ三人いて、しかもいちばん偉そうにマイクを握っているのが、いちばん器の小さいディカだった。本来の主役であるエクサピーコは、番犬の吠える声にかき消されて、ほとんど聞こえない。

つまり、問題はこうだ。あなたの本質が弱いんじゃない。番犬が、うるさすぎるのだ。第三章で足立が「願いを叶えたい」という欲望を一刀両断にしたのも、ここに地続きでつながっている。金が欲しい、力が欲しいと吠えているのは、たいていディカだ。あの声を黙らせないかぎり、本当に聞くべき声は、いつまでも届かない。
CH.06 番犬が吠えるほど、本当の声は遠ざかる
番犬が吠えるほど、本当の声は遠ざかるThe louder the watchdog barks, the fainter the true voice
/ 検証の目線

本書の人間観の核。ディカ=顕在意識(自我)、フィック=潜在意識、本質=エクサピーコ。三層構造そのものは本書の独自概念で、外部の心理学用語とは別物として読む。

07
The Physics of Deciding
第7章「決心」した瞬間、受発信装置が爆発的に増える

この本を読んだ人が、口をそろえて「あれが効いた」と言う一節がある。「決心」の話だ。版元の紹介文ですら、本書の実践のキモを「常に即・決心して、調和した方向へ動くこと」と要約しているくらいで、ここが背骨になっている。

足立はこう書く。「これをやる」と心の底から決めた瞬間、あなたの体の中で、中性子と陽子の受発信装置が、爆発的に数を増やす。すると発する波動が一気に強く、整い、宇宙のほうが、あなたに同調しはじめる——と。

中性子は意識、陽子は意思だった。だから足立に言わせれば、「決心する」というのは、根性や気合いの話じゃない。自分という発信機の出力を、物理的に切り替えるスイッチなのだ。気持ちの問題ではなく、装置の問題。ここがこの人らしい。

私たちが何かを決めるときの作法は、だいたい決まっている。損か得か、天秤に載せる。リスクを数える。保険をかける。さんざん迷う。そうやって慎重に検討するのが、賢い大人の態度だと教わってきた。

足立は、その天秤こそが、あなたの波動を濁らせていると言う。迷っている状態というのは、要するに、あっちにもこっちにも弱い信号を出して、ふらふらしている状態だ。電波が分散して、どれも弱い。一方、本物の決心には、迷いがない。即、答えが出ている。だから出力が一点に揃って、強くなる。「決める前」と「決めた後」では、あなたが発しているものが、別人のように違う——彼はそう断言する。

たとえるなら、決心はアンテナの本数の問題だ。迷っている人のアンテナは、てんでばらばらの方向を向いていて、どの電波もちゃんと掴めない。腹をくくった瞬間、すべてのアンテナが、同じ一方向にカチッと揃う。だから情報が入ってくるようになり、必要な人や、都合のいい偶然が、なぜか向こうから寄ってくる。

正解を見極めてから決めるんじゃない。決めるから、正解に向かう波動になるんだ。だから足立は、せっかちなくらいに背中を押す。とにかく、思い切って決めてしまえ、と。腑に落ちてから動くのではなく、動くと決めるから、あとで腑に落ちる。動けずに止まっている人に足立が差し出す処方箋は、もっと情報を集めろでも、もっと慎重になれでもなかった。迷うのを、やめろ。たったそれだけだった。
CH.07 腹をくくった瞬間、すべての針が一方向に揃う
腹をくくった瞬間、すべての針が一方向に揃うThe moment you commit, every needle snaps the same way
08
Illness Is a Message
第8章病気は敵じゃない。「ズレてるよ」という優しさのアラート

体調を崩すと、私たちは身構える。薬で叩く。切って取る。ウイルスを殲滅する。病気は倒すべき敵で、戦争の相手だ——現代の医療は、だいたいこの構えでできている。

足立は、その構えごと、ひっくり返す。

病気も、ウイルスも、要するに特定の波動を持ったエネルギーだ、と彼は言う。そしてそれは、襲いかかってきた敵ではない。届けられたメッセージなのだ、と。差出人は、ほかでもない、あなた自身の本質——エクサピーコ。文面はこうだ。「いまのあなたの生き方、その意識の使い方は、宇宙の調和から、ちょっとズレていますよ」。

第四章の理屈が、ここで効いてくる。中性子(意識)と陽子(意思)が、不安や怒りやエゴでねじれた波動を出し続けると、その歪みが、体の細胞の原子核にまで、じわじわ染み込んでいく。病気というのは、その歪みがとうとう限界を超えたときに鳴る、警報なのだ、と。

敵だと思えば、叩いて消したくなる。

足立は、それを「優しさ」と呼ぶ。あの痛みも、あの不調も、あなたを苦しめにきたんじゃない。取り返しがつかなくなる前に、軌道がズレてますよ、と知らせにきてくれた。そういう見方をする。だから彼が勧める態度は、ちょっと拍子抜けする一言だ。「気づかせてくれて、ありがとう」。

火災報知器を思い浮かべるといい。ピーピーうるさいからって、報知器を引きちぎっても、火は消えない。鳴っている本当の理由——どこかで燃えている火——に向き合わないかぎり、何も解決しない。足立に言わせれば、症状だけを薬で黙らせるのは、報知器を引きちぎる行為に近い。鳴ったことを責めるな。なぜ鳴ったかを見ろ、と。

そして、感謝には、歪みを打ち消す力がある、と彼は言う。エゴでねじれた振動を、感謝の振動が中和して、本来の調和した状態へ、そっと引き戻す。もちろんこれは、医者にかかるなという話ではない。だが、同じ熱、同じ痛みを前にして、それを「敵の攻撃」と見るか、「身内からの手紙」と見るか。たったそれだけで、その先の身の処し方が、まるごと変わってしまう。医学の外側から投げ込まれたこの問いは、案外、鋭いところを突いている。

CH.08 痛みは、あなた自身が出した一通の手紙だった
痛みは、あなた自身が出した一通の手紙だったThe pain was a letter you yourself had sent
09
Teleportation, Said Plainly
第9章テレポーテーションを、真顔で「次の文化」として語る

ここまで来れば、足立がかなり振り切った人だというのは、もう伝わっているはずだ。それでも、この章でついていけなくなる読者が、いちばん多いと思う。

足立は、人類のこれから進む文化として、テレポーテーションを語りはじめる。物が、人が、距離を飛び越えて、一瞬で別の場所に移る。SF映画の道具立てそのものだ。彼はそれを、夢物語としてではなく、来たるべき当たり前の段階として、まったくの真顔で置く。本書の第六章のタイトルは、ふざけでもなんでもなく、「地球文化の未来——時空間移動(テレポーテーション)を経て」である。

ここで、第二章のあの妹が、もう一度、静かに顔を出す。

妹・幸子が遺した絵に、「異次元への扉(テレポーテーション)」という一枚があった。兄は本の一章として理屈で書き、妹は一枚の絵として色で描いた。出てきた形はまるで違うのに、二人がたどり着いた言葉は、寸分たがわず同じだった。テレポーテーション。数式で宇宙を写した兄と、絵の具で宇宙を写した妹が、別々の道を歩いて、まったく同じ地点で落ち合っている。これは、ちょっと薄気味の悪い符合だ。

テレポーテーションなんて、まともに受け取れば、荒唐無稽もいいところだ。ここで本を閉じたとしても、誰も責められない。

ただ、足立の語り口には、一つ、奇妙な誠実さがある。彼はこれを「奇跡」とも「超能力」とも煽らない。手品の種明かしでもするみたいに、淡々と、自然の仕組みの延長として説明する。彼の頭の中では、コップに意識が宿っているのも、人がテレポートするのも、地続きなのだ。すべては振動波である、というたった一つの前提から、どっちも同じように導かれてくる。結論は突拍子もないが、そこに至る理屈は、最初の一行から、一度もブレていない。

だからこの本は、いいとこ取りを許さない。「中性子に意識が宿る話までは面白かったけど、テレポーテーションはちょっと」——その態度は、本当は通らない。意識の話を呑んだ時点で、テレポーテーションも同じ蛇口から出てくるからだ。入口で頷いた人は、出口でも頷くしかない。出口で噴き出してしまう人は、本当は、入口からうっすら疑っていた人なのである。

つまりこの章は、踏み絵だ。あなたが、どこまで本気でこの世界に足を踏み入れていたのか。ここで、否応なく突きつけられる。笑ってしまったなら、それはまっとうな神経の証拠だから、恥じることはない。ただ足立は、そのまっとうさの、もう一歩外側にある景色を——しかも妹と二人がかりで——のぞきにいった。この本は、その往復の記録なのだ。

CH.09 兄と妹は、別々の道で同じ扉に行き着いた
兄と妹は、別々の道で同じ扉に行き着いたBrother and sister reached the same door by different roads
10
What Happens to You, You Called
第10章あなたに起きることは、あなたが呼んでいる

ここまで、ずいぶん変わった人たちの話を聞いてきた。

宇宙を数式で受信した建築家。同じ電波を絵にした妹。意識を持った中性子、電子のない魂、惑星のテレポーテーション。どれも、感心はする。面白くもある。でも、心のどこかで思っていたはずだ。これは、あの兄妹みたいな特別な人の話であって、自分には関係ない、と。へえ、世の中には不思議な人もいるもんだ。そう言って、本を閉じる準備をしている。

その手を、足立は最後に止める。

本書がずっと、遠回しに、しかし一度もブレずに言い続けていたことがある。九つの章をかけて積み上げてきた理屈を、ぎゅっと一行に絞ると、こうなる。

——あなたの身に起きることは、すべて、あなたが発している波動と同調して起きている。

これは、けっこう怖い一行だ。

足立に言わせれば、いま自分のまわりで起きていること、出会う人、転がり込んでくるチャンス、ぶつかってくるトラブル、その全部が、偶然じゃない。あなたという振動体が出している波と、同じ高さの波を持ったものが、引き寄せられて、現実になっている。良いことも、悪いことも、だ。彼ははっきり書いている。どんなに良いことも、悪いことも、自分自身に責任がある、と。

運が悪い、相手が悪い、時代が悪い。私たちは、自分の身に起きる嫌なことを、いつも外側のせいにして生きている。そのほうが、楽だからだ。足立は、その逃げ道を、ふさぐ。あなたに起きていることは、あなたが呼んだ。誰のせいでもない。これは責めているんじゃない。順序を教えているのだ。原因が自分の側にあるなら、変えられるのも、自分の側だということだから。

では、どうやって変えるのか。

ここで、第七章の「決心」が、ようやく本当の意味を現す。あのとき足立は、決心すると体の中の受発信装置——エクサピーコ——の数が爆発的に増える、と言っていた。装置が増えれば、発する波が強く、整う。発する波が変われば、それに同調して寄ってくるものが、変わる。

つまり、決心とは、根性論じゃなかった。あなたが次に引き寄せる現実を、選び直すための、たった一つのスイッチだったのだ。

逆に、これを濁らせるものも、はっきりしている。迷いと、損得勘定と、推測だ。「こっちかな、いや、でも」と天秤にかけているあいだ、あなたの波は、あちこちにブレた弱い信号を出し続ける。せっかく宇宙から降りてきた直観も、「その先どうなる?」と頭で先回りした瞬間に、ぷつりと壊れる。考えれば考えるほど、受信は途切れ、波は濁り、呼び寄せる現実もぼやけていく。

だから足立の処方は、最初から最後まで、たった一つだった。考えるな。決めろ。感じたほうへ、動け。

精神論に聞こえるだろうか。違う。彼の中では、これは現実を操作するための、いちばん具体的な手順なのだ。

そして、ここからが本当の最後だ。

思い出してほしい。エクサピーコは、足立や妹のような特別な人間にだけ宿る、希少な才能ではなかった。鉱物にも、植物にも、机の上のコップにも、引き出しのネジ一本にすら、それは宿っているのだった。ネジにすら、ある。

なら、いまこのページを見ているあなたに、ないわけがない。

宇宙を受信する装置は、生まれたときから、あなたの芯にも積まれている。足立育朗が二百四十四ページを費やして報告したのは、彼自身の特別な体験談ではなかった。あなたの中で、いまも黙って動き続けている装置の、取扱説明書だったのだ。風呂で、駅のホームで、脈絡もなく答えがふっと落ちてくる、あの感じ。理由は言えないけど、なぜか「こっち」と思う、あの勘。あれを、あなたはもう、何千回も受信している。足立はただ、あなたが毎日やっていたことに、名前をつけただけだった。

だとすれば、この本に対してできることは、もう一つしかない。

理解しようとするのを、やめることだ。「わかった」「わからない」と判定したがるのは、あの番犬・ディカの仕事だった。本書は最初から、その番犬を黙らせろと言い続けている。だから、読み解くな。試せ。

今日、昼に何を食べるか。曲がり角を、右に行くか左に行くか。理由を探すのを一度だけやめて、損も得も計算せず、ふっと「こっち」と感じたほうへ、考える前に足を出してみる。気まぐれでも、占いでもない。それは、あなたの芯に積まれた装置の、電源を入れる、いちばん小さなスイッチだ。

そして、その一歩が呼び寄せる次の現実だけは、机のネジにも、絵を描いた妹にも、宇宙を受信した足立自身にも、肩代わりできない。

あなたが次に何を選ぶか。
それだけが、あなたに次に何が起きるかを、決めている。
CH.10 次の一歩を選べるのは、あなた一人だけ
次の一歩を選べるのは、あなた一人だけOnly you can choose your very next step
/ 検証の目線

「自分に起きることは自分の波動が呼んでいる」「決心でエクサピーコの受発信装置が増える」は、本書本文の記述として裏取り済み。本記事は本書の主張の紹介であり、その真偽を科学的に保証するものではない。

BIBLIOGRAPHY / 書誌情報

書名
波動の法則 ― 宇宙からのメッセージ
著者
足立育朗(あだち いくろう)
出版社
ナチュラルスピリット(2007年復刊)/初版 1995年 PHP研究所刊
判型
単行本
ページ数
244ページ
ISBN
978-4-931449-98-5(ナチュラルスピリット版)
著者略歴
1940年東京生まれ。1964年早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1968年樹生建築研究所設立。1983年、妹・足立幸子とともに「波動」の追究を開始。1990年形態波動エネルギー研究所設立。

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