波動の法則──足立育朗が宇宙から受け取った、世界の正体

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波動の法則──足立育朗が宇宙から受け取った、世界の正体

目次

世界は、物質でできていない

世界は、物質でできていない。

振動でできている。

そう言い切る一冊がある。足立育朗『波動の法則 ― 宇宙からのメッセージ』。

人も、動物も、植物も、石ころも。あらゆる存在は「振動体」。それぞれが固有の波を、絶えず受け取り、発している。

そして、すべての現象は、自分が発した波と同調したときに起きる。

目の前で起きていることは、すべて自分の波の鏡。

逃げ場のない、ひとつの法則。

呼ばれた者だけが、その意味にたどり着く。

この本は何者か

『波動の法則』。初版は一九九五年、PHP研究所。

九〇年代、日本に「波動」という言葉が広まった時期がある。水、音、健康、あらゆるものに「波動」が冠された。その源流のひとつが、この本だ。

「波動が高い」「いい波動」。いま日常で使われる言葉の、遠い祖先がここにある。

やがて絶版。だが消えなかった。読者の手から手へ渡り、中古でプレミア化し、二〇〇七年、ナチュラルスピリットから復刊。二百四十四ページの薄い一冊が、三十年読み継がれている。

全九章。目次がすでに、ただの本ではないと告げている。

第三章「中性子・陽子・電子の構造と性質」。第五章「原子核の集合体(EXA PIECO=本質≒魂)」。第六章「地球文化の未来──時空間移動」。第八章「病気の本質」。

素粒子と、魂と、テレポーテーションが、同じ平面で語られる。

著者──直観に明け渡した建築家

足立育朗。一九四〇年、東京生まれ。早稲田大学第一理工学部建築学科卒。建築家として、現実の世界で生きてきた。

転機は、一九八三年。

「直観とは何か。閃きとは何か」。その問いに取り憑かれた。妹・足立幸子とともに、波動の追究を始める。幸子もまた、後に『あるがままに生きる』を著す。兄妹は別々の経路で、同じ宇宙に触れた。

設計の現場で、根拠なく「こうすべきだ」という確信が降りてくる。その通りにすると、物事が調和する。理由はわからない。だが、確かに何かが働いている。

その「何か」の正体を、足立は知りたかった。

そして気づく。四十三年間、自分は「建築家として生きる」ことを前提に生きてきた。だがそれは、本質が選んだ道だったのか。それとも、エゴが作った檻だったのか。

一九九〇年、形態波動エネルギー研究所を設立。

足立は「まえがき」で宣言する。本書に参考文献は一切ない。推察も仮説も立てない。ただ、自分が直観で受け取った宇宙からの情報を、正確に、具体的に報告する、と。

証明の書ではない。報告の書。

核心──すべては振動波である

足立の主張の根は、ひとつ。

すべては振動波である。

人間も、動物も、植物も、鉱物も。それぞれが、宇宙との調和の度合いに応じた固有の振動波を、常に受け取り(受振)、発している(発振)。

そして、決定的な一文。

すべての現象は、自分が発振した振動波と同調したときに起きる。

良いことも、悪いことも。出会いも、別れも、病も。あなたの現実は、あなたの波の結果だ。

だから、責任はすべて自分にある。

冷たいほど、シンプル。だが逃げ場がない分だけ、強い。

足立は、人間の存在そのものをこう捉える。一人ひとりが、宇宙から与えられた「本質」という意識と意志を持って、ここに存在している。そして、それぞれが宇宙から与えられた役割を学ぶために、この世界に生まれてきた。

だから、自分の欲望を満たすために生きるのではない。自分以外のあらゆる存在のためにもなる方向に動くこと。それが「自然の法則に適った生き方」だ、と足立は繰り返す。

愛と、調和。本書を貫くのは、突き詰めればこの二語に尽きる。

踏み込んだ概念──素粒子が「意識」と「意志」を持つ

この本の最も特異な核心が、ここにある。

足立は、宇宙意識とつながって気づいた、と言う。原子を構成する素粒子には、それぞれ役割がある、と。

本書によれば──

中性子は「意識」であり、調和。

陽子は「意志」であり、愛。

電子は「物質化」の役割。

物理学の素粒子が、そのまま心のはたらきと対応する。中性子が意識を、陽子が意志を担い、電子がそれを現実の物質として立ち上げる。

そして、直観と閃きこそが「波動」そのもの。

人間の中性子と陽子が正常な形なら、正常な波を出す。歪んでいれば、歪んだ波を出す。

ここから、足立の文明批判が立ち上がる。

いまの科学は、ここ六百年ほど、目に見える「現象」だけを追ってきた。中性子が意識で、陽子が意志だという根本を忘れたまま、危うい方向へ突き進んでいる──そう足立は言う。

さらに踏み込む──「思考」が直観を殺す

では、どう生きるか。

足立は、人間の意識をふたつに分ける。

ひとつは「直観」。宇宙から本質に直接届く声。理由のない確信。「本当はこうした方がいい」という閃き。

もうひとつは「思考」、すなわち顕在意識。損得を計算し、怖れを並べ、直観の実行を押しとどめる。「それをやったら立場が危うい」「食っていけない」。思考は、いつもそう囁いて、直観を殺す。

足立にとって、思考こそが、人を不調和にする元凶だ。

ではどうするか。

答えは、「決心」。

ここで本書独自の概念、EXA PIECO(エクサ ピーコ)が登場する。原子核の集合体であり、本質、すなわち魂にほぼ等しいもの。

本書によれば、調和のとれた決心をした瞬間、EXA PIECOの原子核の数が増える。受振と発振の装置が増える。すると、それまで素通りしていた振動波と、同調できるようになる。

決心した瞬間から、その波が出はじめる。だから、行動する前に、やろうとしていたことが向こうからやってくる。会いたい相手から連絡が来る。必要な情報がふと届く。

偶然ではない、と足立は言う。同調だ、と。

決心の前と後では、出している波がまるで違う。だから、決心の前の自分から見れば奇跡に見えることが、決心の後の波からすれば、起きて当然のこととして起こる。本書によれば、奇跡とは法則の外にある出来事ではない。波が変われば現れる、当たり前の現象にすぎない。

そして足立は念を押す。求めてはいけない、と。お金が欲しい、健康になりたい、能力が欲しい──そうした願いは「個人の欲望」であり、ある部分だけを満たそうとするのは、全体としては不調和な状態だ。

順序はこうだ。まず顕在意識を、自然の法則にかなった方向へまるごと変える。受け取った直観を、素直に実行する。すると周波数が安定して上がり、調和がとれていく。その結果として、願いは叶い、体は健やかになる。

損得を捨て、怖れを手放し、思いきって「調和」を選ぶ。手放すのが怖くても、損得抜きで調和の側に立ったとき、思いがけないものが返ってくる。

これが、本書が伝える、たったひとつの実践。

本が描く世界──病の本質と、宇宙語

第八章「病気の本質」。本書で最も挑発的な章だ。

本書によれば、病気は、治すものでも、闘うものでもない。不調和な波を出している自分への、自然からのメッセージだ。

仕組みはこうだ。人間の顕在意識が歪んだ波を出すと、近い周波数の中性子と陽子が歪む。やがて空気も水も食べ物も歪み、人はそれを取り込んで、歪みをさらに増幅させる。

ウイルスや病原菌とは──正常な素粒子でできていたものが、欠けて潰れた分子のこと。人間が陽子を歪めることで、それらは生まれた、と足立は言う。

自分が生み出したものを、自分が「病原菌」と呼び、憎み、薬で叩く。だが薬は中性子をさらに歪める。だから病は消えたように見えて、堂々巡りになる。新薬を作るほど、新たな病が生まれる、と。

足立は、現代の暮らしそのものに歪みの原因を見る。本書によれば、半導体が出す振動波は、陽子を歪ませる。だから一日中パソコンの前に座る人は「意志」が弱り、無気力になっていく、と。文明の利器が、知らぬうちに人の本質を削っている、という見立てだ。

根にあるのは、文明への問いだ。本書によれば、いまの文化は「競争して奪い合う」文化であり、欲望を満たす顕在意識が拡大した状態にすぎない。本来エネルギーは調和がとれていて、すべてに必要な分だけ行き渡るようにできている。奪い合う必要などない。それなのに、人は奪い、憎み、歪んだ波で病を生み、その病をまた憎んで殺そうとする。

ではどうするか。歪んだ中性子を、正常に戻す。その方法が「意識変換」だ。

ただし、「治そう」という意識は欲望であり、それ自体が不調和になる。求めるのではなく、顕在意識を自然の法則にかなった状態に変え、調和のとれた決心を実行する。周波数が上がれば、様子が変わる──これが本書の答えだ。

足立の世界には、見慣れない言葉も次々と現れる。EXA PIECO。FUGEHEKIN。ADI回転。L時空とR時空。これらは「宇宙語」と呼ばれ、本書には日本語との対比表まで載っている。

本書によれば、ゼロや「無」は、エゴの文化の象徴であり、本来の宇宙には存在しない。生も死も「時空元」の移動にすぎない。別れた相手も、死別した相手も、EXA PIECOのレベルでは常に家族であり、互いを支え続けている。

だから足立は説く。別れた相手にこそ、感謝を発振せよ、と。

人も、金も、病も、すべてが「振動波の同調」というひとつの法則で貫かれている。

正しい読み方──理解するな、観じろ

正直に言う。この本は、難しい。

宇宙語が飛び交い、物理用語が独自の意味で使われ、論証は一切ない。「わからない言葉が多すぎる」と感じる読者は、少なくない。

だから、こう読む。

理解しようとするな。

足立自身が言う。思考で理解しようとした瞬間、この本は閉じる。そうではなく、響くかどうか。最初に観じた感覚を信じる。意味がわからなくても、まず通して読む。

一度わからなくても、数年後に再び開いたとき、突然腑に落ちることがある。

頭で読む本ではない。波動で読む本だ。

足立の懐疑は、科学の見方そのものにも及ぶ。本書によれば、現代の科学は「現象」だけを追い、根本を捉えていない。電子顕微鏡もX線も、観るために対象へエネルギーを加える。つまり、本来あるがままの姿を見ているのではなく、手を加えて変質させたものを見ているにすぎない、と。

万物の元から探求しない限り、根本には届かない。足立はそう言い切る。

素粒子の話がきつければ、妹・幸子の『あるがままに生きる』から入る道もある。やわらかい言葉で書かれた、もうひとつの入口だ。

なぜ読み継がれるのか

賛否は、激しい。

科学的根拠がないと一蹴する者。人生を変えられたと語る者。

だが、どちらの反応も、この本が「ただの本ではない」ことを示している。無関心では、いられない。

一度は市場が見放した本を、読者の熱だけが蘇らせた。本としては稀有な事件だ。

「すべては振動である」という直観は、量子の世界が波として振る舞うという現代物理と、不思議な共鳴を見せる。むろん本書は検証されたものではない。だが、そこに何かを感じ取る者が、後を絶たない。

こんな人に呼ばれている

この本は、すべての人に向けて書かれてはいない。

いまの生き方に、どこか嘘を感じている者。

頭で考えるほど、人生がこじれていく者。

理由のない確信を、何度も握りつぶしてきた者。

病や不運を、誰かのせいにして生きてきた者。

そういう者にとって、この本は鏡になる。

足立は、特別な能力を授けるとは言わない。金も、超能力も、健康も、それ単体を求めるのは「個人の欲望」であり、不調和だと切り捨てる。

求めるべきは、ただひとつ。自然の仕組みに適った、調和のとれた生き方。その方向へ意識を変え、直観を実行し続ける。結果として、願いは叶い、体は健やかになる。

順番が、逆なのだ。

呼ばれた者へ

『波動の法則』は、証明の書ではない。

ひとりの建築家が、直観という回路を通して受け取った、宇宙からの報告。

信じる必要はない。

ただ、開いてみる。最初の数ページで、何かが響くか、響かないか。

響かなければ、そっと閉じればいい。あなたは、まだ呼ばれていない。

響いたなら──いま自分が出している波は、どんな波だろうと、考えはじめる。

世界は、物質でできていない。

振動でできている。

その一行が、あなたの中で本当になる日が来る。

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