生きがいの創造 ― 飯田史彦

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一九八〇年、アメリカ・フロリダ。

水を、異常に怖がる女がいた。物を飲み込むのが怖い。飛行機が怖い。暗闇が、眠ることが怖い。原因不明。薬も効かない。

精神科医は最後の手段に出た。催眠をかけ、記憶をさかのぼらせる。「問題の起きたところへ戻りなさい」。

女は、戻った。戻りすぎた。

——四千年前の、別の人生へ。


目次

大学教授が、まじめに「死後の世界」を論じた本

その精神科医はブライアン・ワイス。患者の名はキャサリン。催眠台の上で彼女が語り出したのは、何百年も、何千年も前の「過去の人生」だった。

この実話に衝撃を受けた日本の経営学者がいた。飯田史彦。当時、福島大学の教授。専攻は人事管理論と経営戦略。霊能者でもなければ宗教家でもない、論文を書く人間だ。

その彼が、一九九六年に一冊の本を出す。『生きがいの創造』。

テーマは、死後の生命。生まれ変わり。前世の記憶。普通なら「うさんくさい」で片づけられる話を、彼は世界中の科学者・医師・大学教授の臨床報告を積み上げ、経営学者の冷静な筆致で論じきった。

問いはひとつ。「もし死後の世界や生まれ変わりが本当だとしたら、私たちの生き方はどう変わるのか」。

この一冊が、日本のスピリチュアル・ブームに火をつけた。きっかけは、刊行前年の一九九五年。飯田は福島大学の紀要に「生まれ変わりが人生観に与える影響」を論じた論文を発表する。これに目をつけたのが、精神世界に絶大な影響力を持っていた船井総研の船井幸雄だった。船井が激賞し、本にも推薦文を寄せた。経営学者の地味な論文は、こうして世に出るやベストセラーへと駆け上がる。シリーズ累計、二〇〇万部。後に『生きがいのマネジメント』『生きがいの本質』と続く長大なシリーズの、すべての出発点が、この本だ。

刊行から三十年。なぜ今も読まれ続けるのか。中身に入る。

キャサリンの事件——懐疑的な医師が、信じてしまった

本書がまず読者を掴むのは、ワイス博士の症例だ。

ワイスは輪廻転生など信じていなかった。れっきとした精神科医で、催眠は症状の原因を探る臨床技法にすぎなかった。当初も、キャサリンの幼少期のトラウマを探るつもりで催眠をかけていた。だが何度さかのぼっても症状は消えない。そこで「症状の原因となった場面へ戻れ」と指示したとき、彼女はその言葉どおり、今生をはるか飛び越えた場所へ行ってしまった。古代の、洪水で溺れ死ぬ女の生へ。水恐怖症の根が、そこにあるかのように。

ワイスを決定的に変えたのは、別の場面だ。キャサリンは催眠状態で、ワイス自身の家族のことを語り始めた。彼の亡くなった父親のこと、そして夭逝した息子のこと——カルテにも書いていない、彼女が知るはずのない事実を、まるで死者からの伝言のように。

懐疑的な医師の理性が、そこで折れた。彼はその後、四千人以上の患者を退行させていく。この症例はやがて『前世療法』として世界的ベストセラーになり、飯田の本にも大きな影響を与えた。

飯田はこうした症例を起点に、世界各国の同種の報告を並べていく。文化も時代も違う人々が、催眠下で驚くほど似た構造の体験を語る。前世の生、その死の瞬間、そして死後の世界。読み進めるほど、読者の「常識」がじわじわと侵食されていく。これが本書前半の、静かな迫力だ。

「中間生」——人は死後、自分の人生を採点される

本書でもっとも忘れがたいのは、「中間生」の描写だ。

中間生とは、ひとつの人生を終えてから次に生まれるまでの、いわば「あの世」の時間。退行催眠を深めると、人はこの領域の記憶まで語り出すという。

そこで起こるのが、人生の回顧。終えてきた人生のすべてを、もう一度見せられる。生まれてから死ぬまで、自分が誰に何をしたか。一場面も漏らさず、再生される。ただ眺めるのではない。自分が他人に与えた苦しみを、今度は相手の側から、相手の痛みとして体験させられる。

ある証言ではこう語られる。生前いじめた相手の身体に入り込み、自分が与えた苦しみを我が身として感じる。気づけば、自分は加害者ではなく被害者の立場で痛みを味わっている、と。さらに、自分が苦しめた相手の親の悲しみまで、手に取るように伝わってくる。言い訳も理由づけも剥ぎ取られ、自分の犯した罪が生々しい姿でさらけ出される。それは「一種の地獄」だと表現される。

裁く神がいるのではない。自分で自分を、徹底的に思い知る。そして反省を踏まえ、次の人生で何を学び直すかを、自分で計画して生まれ直す。どんな親のもとに、どんな試練を背負って生まれるか——それすら自分で選ぶ、というのだ。この容赦ない自己採点と、自ら課題を選ぶという構図は、読む者の倫理観を静かに揺さぶってくる。自分の今の人生は、かつての自分が望んで設計したものかもしれない、と。

五つの仮説——苦しみが、意味に変わる瞬間

飯田の偉いところは、これらを「信じろ」と押しつけないことだ。彼はあくまで「仮説」として提示する。自らの方法を「科学的スピリチュアル・ケア」と呼び、五つの仮説に整理した。

死後も意識は存続する(死後生仮説)。魂は何度も生まれ変わる(生まれ変わり仮説)。人生は自分が自分に課した課題である(ライフレッスン仮説)。深い縁の魂とは何度も巡り会う(ソウルメイト仮説)。すべての出来事には意味と理由がある(因果関係仮説)。

この五本を採用したとき、世界の見え方が反転する。

あなたを苦しめている病。背負った障害。挫折。いじめ。家族の不和。それらは罰でも不運でもなく、生まれる前のあなた自身が選んだ「課題」だ——飯田はそう読み替える。

冷たく聞こえるか。逆だ。これは苦しむ人間を救うための論理だ。「これは自分が選んだ試練だ」と思えた瞬間、人は被害者をやめて挑戦者になる。誰かを恨むのをやめ、天を呪うのをやめられる。

飯田はさらに踏み込む。重い障害や病を背負って生まれることは、進歩のしるしだ、と。普通の人生が「学校の一年間」なら、過酷な人生は「大学院の一年間」に相当する。強い魂ほど、重い荷を選ぶ。安楽な人生には、それほどの意味はない——。

そして、本書には救いの描写もある。先に逝った大切な人は、消えてなくなったのではない。意識体として、すぐそばで見守っている。場合によっては、こちらの意識とつながることもある。だから、悲しみのあまり後を追ってはいけない——。愛する人を喪った読者にとって、この章はそのまま涙腺を直撃する。

苦しんでいる人間の背筋が、これらの一文でふっと伸びる。だからこの本は売れた。理屈の当否ではない。それで救われた人間が、現に大勢いた。「人生観が変わった」という読者の声が、三十年経った今も絶えない。

なぜ、もう一度生まれてくるのか

本書を読み進めると、ひとつの問いに行き当たる。そこまで過酷なら、なぜ人はわざわざ、また生まれてくるのか。

本書のなかで、ある魂はこう答える。「やり残したことがあるから」。それが今の人生のテーマであり、使命なのだ、と。この短い一言に、生まれ変わりの仕組みの核心がある。私たちはこの世という修行の場に、学び残した課題を抱えて、何度も戻ってくる。

そしてもうひとつ、人を引きつけてやまないのが「ソウルメイト」の考え方だ。深い縁で結ばれた魂は、何度生まれ変わっても、形を変えて巡り会う。今のあなたの伴侶、親、子、親友——それは初めて出会った相手ではなく、幾度もの人生で関わってきた、なじみの魂かもしれない。

なぜ初対面なのに懐かしいのか。なぜこの人とだけ、こんなに深く結ばれるのか。その不可解な感覚に、本書はひとつの説明を与える。ロマンチックに聞こえるが、読者にとっては自分の人間関係を見つめ直す鏡になる。目の前の縁が、偶然ではなく必然に思えてくる。

信じなくていい。それでも効く、という発想

「人は死んだら生まれ変わるのか」。科学的には、答えは出ていない。飯田もそれを認める。

だからこの本のスタンスは独特だ。信じても、信じなくてもいい。ただ、信じてみたら人生がより良くなるのなら、損はしないはずだ——という構え。証明より、効果。真理の証明ではなく、生きるための道具として差し出す。経営学者らしい、実用主義の発想だ。

ここに賛否はある。宗教学者からは、スピリチュアル・カウンセラーと地続きだという批判もある。前世の証言をどこまで実証と呼べるのか、催眠下の作話ではないのか、決着もついていない。レビューを覗けば、声は割れている。「人生が変わった」と涙ぐむ人がいれば、「中間生や光については未体験だから判断は保留する」と冷静に距離を取る人もいる。後者も、まっとうな読み方だ。

だが本書の価値は「真実かどうか」だけでは測れない。信じる信じないの手前に、「もし本当なら、私はどう生きるか」という問いがある。その問いに向き合った時間こそが、人を変える。証明できないからこそ、各人が自分で引き受けるしかない。賛否があるということは、それだけ多くの人の心を揺さぶったということでもある。

この本が呼ぶのは、こういう人だ

理由のわからない苦しみのなかにいる人。なぜ自分だけが、と問い続けて眠れない人。大切な人を喪い、その死の意味を探している人。生きる張り合いを失い、生まれてきたことそのものを恨みかけている人。

宗教には入りたくない。でも、すべてが偶然で無意味だとも思えない。その狭間で立ち尽くしている人。飯田が一番手を差し伸べたかったのは、おそらくそういう人たちだ。

読み方にもコツがある。本書は前半の大半を、事例の紹介に費やす。前世の証言、中間生の記憶、検証された記録。延々と続くこの「証拠集め」を、退屈と感じる人もいるだろう。だが、それは飯田の戦略だ。理屈で疑う頭を、事例の積み重ねで少しずつほぐしていく。頭で読もうとして引っかかったら、心で読む。そう切り替えた途端にすっと入ってきた、と語る読者は多い。スピリチュアルが苦手な人ほど、最後まで読んでほしい一冊だ。

『生きがいの創造』が最終的に語るのは、死ではなく、生だ。死後があるなら、今この一瞬の重みが変わる。生まれ変わりがあるなら、今の選択が次へ繋がる。すべてに意味があるなら、無駄な経験など一つもない——。

人生にマイナスはない。すべては成長のための計画である。

この一行を本気で受け取れたとき、世界はもう昨日までの世界ではない。理不尽は試練に、偶然は必然に、絶望は通過点に変わる。

経営学者が、論文を書く理性を手放さずに、人間の苦しみを救おうとした誠実な賭け。その第一作が、この本だ。彼はこの後、教授職を捨て、誰の悩みにも無償で向き合う「光の学校」という施設まで設立する。本気だった、ということだ。

この本に手応えを感じたなら、続きがある。『生きがいのマネジメント』『生きがいの本質』、そして最新の知見を加えた『完全版』。だが、まずはこの一冊でいい。どこから読み始めてもいいが、すべての始まりは一九九六年のこの一冊だ。

信じろとは言わない。

ただ、開いてみろ。

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